台湾の「日本式建築」に魅せられて:日本統治時代・レトロ建築の「伝道師」渡邉義孝さん

文化 暮らし

周 恵貞 【Profile】

近年、台湾社会において歴史的建築物を守ろうという風潮が広がりつつある。その中で特に注目されているのが日本統治時代に遺された大量の建築物だ。この時期の日本式建築物は台湾の街中にあふれており、神社の遺構から、役所に官舎、診療所、監獄、鉄道の駅舎、製糖工場、製酒工場、たばこ工場、営林場、製茶工場、精米所や穀倉など枚挙にいとまがない。台湾の至る場所で当時の面影を見ることができるのだ。これらの歴史的建築物は、戦後台湾において長く忘れられた存在だった。だが、今は違う。多くの人が老朽化した建物の随所随所に散りばめられた工芸の美しさに気が付き始めたのだ。この台湾における「レトロ建築ブーム」の立役者はある日本の一級建築士である。渡邉義孝さんだ。

日本での活動

広島県東部に位置する尾道市。近年、渡邉さんはここを主な仕事の場としている。戦前は広島市に並ぶ商都であった尾道市も、第二次大戦後、人口流出と高齢化に抗えずにいる。加えて旧市街地の山肌を縫うように蛇行する狭い道路は車が通れず、アクセスの悪さから空き家が増加しているのだ。

2008年、故郷が廃屋だらけになっていくことに危機感を覚えた尾道出身の豊田雅子さんが「NPO法人尾道空き家再生プロジェクト」を立ち上げた。同法人にはさまざまな業界からメンバーが集結し、一時は廃虚寸前の危機に瀕した街の状況に変化の兆しが見え始めたのだ。このプロジェクトの影の立役者のひとりが、理事を務める渡邉さんなのである。

「(旧市街地の建物が)国の有形文化財に指定されてから、クラウドファンディングや市からの補助、多くのボランティアの協力を得て空き家の再建を進めました。さらに尾道で『空き家バンク』業も開始しました。この事業では不動産市場に出ていない空き家を調査し、居住希望の方とのマッチングを行っています。またNPO法人尾道空き家再生プロジェクトでは文化財の申請、図面の作成、(建物が)建築基準法や消防法に適合しているかどうかなどの確認も行っています。とても面白い仕事です」

尾道では具体的にどのように空き家の再生が行われているのだろうか。例をひとつ見てみたい。渡邉さんらが修復することになったある家屋は、建物自体が大きく、また現場に行くために370段の階段を上る必要があった。修復作業では、多くのボランティアを動員し、修復材の運搬は車や機械を使わず人の手で行われたそうだ。修復については、さまざまな面からの検討が行われた。渡邉さんは、修復に用いる材料や構造の検討だけでなく、このほぼ山のような場所に2階建ての家屋を建てるために、過去にどんな建材や工法が用いられたのかの調査も行ったのだ。その結果、修復には木造だった構造に鉄骨を入れて強化し、屋根の一部には当時から使われていた瓦をそのまま利用することが決定した。こうして廃虚と化していた家屋は、在りし日の姿を取り戻したのである。

渡邉さんは空き家再生の美学についてこう話す。

「建築というのは、その土地の建材と昔から伝わる伝統技術が使われているものです。これこそ私の美学とインスピレーションの源なんです。建築家としてお客様の希望をかなえることは必須ですが、それでも私は『昔ながらの材料を使ってはどうでしょうか?』と提案することがあります。尾道の空き家再生では、修復に明治時代の瓦を使います。そうすることでコストはかかるのですが、お客様もその価値と意味を理解してくれています」

そして、渡邉さんはこうも語った。

「尾道市は日本の地方創生の成功例の1つです。市民の力で廃虚群となっていた街がよみがえったと言えます。そして今、さらに多くの人達が尾道を愛するようになりました。2009年から始めた空き家バンクでは登録されている1000棟以上の空き家のうち約100棟が修復を完了しています。そして尾道に200人以上が移住したのです。さらに現在、約1000人が(移住の)申請中だといいます。日本において民間の力で移住の潮流ができた例は決して多くありません。私が講師を務める尾道市立大学では、『建築と都市計画』という授業で学生とフィールドワークに出るのですが、(学生から)NPOへの参加希望者がどんどん増えています。私はこういった市民の行動が街の景色を変えていくのだと思います。そのような変化に携われることはとても喜ばしいことです」

渡邉義孝さんは尾道独自の資材で、独特な海岸家具を作り出している(筆者提供)
渡邉義孝さんは尾道独自の資材で、独特な海岸家具を作り出している(筆者提供)

だが、古い建物の中には、残念なことに修復されることなく解体されるものもある。渡邉さんほどのキャリアとなると、そんなケースを目にすることも少なくなかった。

「2011年の東日本大震災、2016年熊本地震の後、私は被災地で残った土蔵の調査記録を始めました。宝石のように輝く土はまさに日本建築工芸の極みです。土蔵の建設費と建設に要する時間は、ときに住宅本体を越えることもあります。しかし今多くの蔵が、修復されることのないまま最終的に解体されるという状況にあります。私個人にはその蔵たちを守る力はありません、そこで蔵をスケッチして記録することで何とか後世にその姿を伝えたいと思っています」

活動を続けるうちに、こんなうれしいこともあったそうだ。

「『渡邉さん、あなたの蔵への思いを知ってうちの蔵は取り壊さないことにしましたよ!修復をお願いできませんか?』と言ってくれる人もいます。このような言葉を聞くとほっとしますね」

精力的に日台を往来し続ける渡邉さんの力の源は、ひとえに建築への無限の情熱だろう。彼の建築の旅にはゴールはない。この新型コロナウイルスの流行が落ち着いたら渡邉さんはきっと台湾行きの航空券を手に再び旅に出るに違いない。今後も台湾――麗しの島「フォルモサ」で、渡邉さんの建築の大冒険が展開されるだろう。

バナー写真=台湾新竹県警察局横山分署内湾交番のスケッチを行う渡邉義孝さん(Yunkang Hsu氏撮影)

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ジャーナリスト。前香港フェニックス・テレビ、香港TVB記者。英ロンドン大学で修士号(国際コミュニケーション)を取得。ドキュメンタリー番組のプロデュースにも携わり、アジア及びアフリカ企業、米ホワイトハウス職員、WTO国連下の組織の取材などを行う。Nikkei、FTGroup、BBC、サウス・チャイナ・モーニング・ポストなどで執筆。

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