台湾の「日本式建築」に魅せられて:日本統治時代・レトロ建築の「伝道師」渡邉義孝さん

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周 恵貞 【Profile】

近年、台湾社会において歴史的建築物を守ろうという風潮が広がりつつある。その中で特に注目されているのが日本統治時代に遺された大量の建築物だ。この時期の日本式建築物は台湾の街中にあふれており、神社の遺構から、役所に官舎、診療所、監獄、鉄道の駅舎、製糖工場、製酒工場、たばこ工場、営林場、製茶工場、精米所や穀倉など枚挙にいとまがない。台湾の至る場所で当時の面影を見ることができるのだ。これらの歴史的建築物は、戦後台湾において長く忘れられた存在だった。だが、今は違う。多くの人が老朽化した建物の随所随所に散りばめられた工芸の美しさに気が付き始めたのだ。この台湾における「レトロ建築ブーム」の立役者はある日本の一級建築士である。渡邉義孝さんだ。

師からの教え

渡邉さんの建築家人生にまず大きな影響を与えたのは、彼の上司にして師、そして建築家であり文筆家でもある鈴木喜一さんとの出会いだ。鈴木さんから受けた影響は、単なる技巧や実務経験にとどまらず、渡邉さんの建築理念にまで及んだ。

「鈴木先生は私たちに建築現場を隅から隅まで観察するようにおっしゃいました。先生が言いたかったのは、建築の入門とは素直な心で大工、左官、れんが職人から見て学ぶことだということです。そのほか先生は可能な限り天然建材を用いて、シンプルな設計を行うことこそが人を飽きさせない建築であるという信条を持っていました。当時、私たちがモットーとしていたのは『5年後10年後に完成したときよりさらに美しくなり、街と調和していく建物を作る』です。また私が古い家屋を調査した際、先生から『取り壊すのではなく、再生した方がいい』というアドバイスを受けました。そうすることで、その家に住んでいた家族の記憶を引き継ぐことができるというのです。再生という決定を家主に伝えると、とても喜んでくれました」

旅を愛した鈴木喜一さんは、旅行中に異文化の洗礼を受け、観察することが建築家としての観察眼を養い、視野を広げることになると考えていたという。渡邉さんは当時をこう振り返る。

「鈴木先生は、『建築家になりたければ旅に出よ!』とおっしゃっていました。私は現場のたたき上げです。鈴木先生の事務所に入って2年は給料が出ませんでした。昔ながらの見習い修行のようなものです。その一方で先生からは1年のうち3カ月は海外旅行に行くことを勧められました。旅行の費用は事務所が負担してくれます。ですが、ひとつ条件があって、それが毎日スケッチを1枚と旅行エッセイを書くことだったのです」

スケッチは写真を撮るのとは異なり、時間も労力も要するものだ。スケッチのポイントを渡邉さんはこう語る。

「建築物を描くとき、まず把握しなければいけないのが屋根の形、そして壁の色と窓の数など細部です。なぜこの窓は上下に開閉するのか、なぜ日本のように左右にスライドする窓ではないのか……このように疑問点を見つけ、答えを探すことで、私はその建物のことを理解していきます。もし建物と対話する時間が2時間あったなら、誰だってその建物と『友人』になることができますよ。鈴木先生が私に与えた任務も『勉強』ではなく『いかに建築物と対話するか』、この一点でした」

広島県尾道市で空き家の再生に取り組む渡邉義孝さん(筆者提供)
広島県尾道市で空き家の再生に取り組む渡邉義孝さん(筆者提供)

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ジャーナリスト。前香港フェニックス・テレビ、香港TVB記者。英ロンドン大学で修士号(国際コミュニケーション)を取得。ドキュメンタリー番組のプロデュースにも携わり、アジア及びアフリカ企業、米ホワイトハウス職員、WTO国連下の組織の取材などを行う。Nikkei、FTGroup、BBC、サウス・チャイナ・モーニング・ポストなどで執筆。

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