「冗談だよ!」って笑って戻ってきて : 天才・志村けんが台湾にもたらした「娯楽」以上のもの

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志村けんさんが出演していた『8時だョ! 全員集合』は、台湾人にとっても懐かしい記憶だ。当時、台湾でのテレビ放送はなかったが、海賊版ビデオとなって台湾の家庭に浸透していた。志村けんさんは台湾でも、みんなが知っている人気コメディアンだった。

志村けんに影響を受けた台湾3世代とバラエティ番組

『全員集合』は、台湾バラエティ番組にも影響を与えた。70年代から活躍した歌手で女優の鳳飛飛(フォン・フェイフェイ)が司会を務める『一道彩虹(1978~80年)』『飛上彩虹(1984年、97年)』などの番組は、『全員集合』のコピーだった。番組内の「少年少女合唱団」というコーナーは、『全員集合』の「少年少女合唱隊」そのもので、衣装も日本版と同様に白を基調として、手には楽譜、そして鳳飛飛がいかりや長介さんのように合唱団を指導するのだ。このコーナーで頭角を現したコメディアンからは、どこか加藤茶さんや志村けんさんの影響が感じられる。コーナーの流れや笑いのポイントは、あの海賊版ビデオを見た世代には、どこか見覚えがあるものだった。

海賊版のレンタルはもちろん違法だったが、なぜか店が取り締まられたという話は聞いたことがない。そればかりか、台湾バラエティ番組はこぞって日本の番組を模倣し、鳳飛飛の番組で人気を得たコメディアン、たとえば後に「黄金五鼠」と呼ばれる張菲(チュー・フェイ)、 倪敏然(ニー・ミンラン)ら5人が出演したバラエティ番組『黄金拍档(「ゴールデンパートナー」の意)』の制作にはTBSの協力があったくらいだ。『黄金拍档』は後に「台湾版 8時だョ! 全員集合」と呼ばれるようになる。

さて、メディアなどで「台湾の志村けん」としてよく名が挙がるのは、ユーモアがきいた芸風で親しまれたコメディアン・豬哥亮(ジュー・ガーリャン)だ。「北の張菲、南の豬哥亮」と呼ばれ、人気を二分していた。だが、実際に志村さんの影響をより強く受けていたのは豬哥亮ではなく張菲ら『黄金拍档』の出演者の方である。『黄金拍档』で倪敏然が演じた「七おじさん」と張菲による「董娘」、そして後に陽帆(ヤン・ファン)によって演じられた「陽ばあさん」には志村けんさんの影を見ることができる。

『黄金拍档』で人気を博したコメディアンたちはやはり『全員集合』のスタイルを踏襲していた。一方、豬哥亮は自身が司会を務めるディナーショーの『豬哥亮的歌廳秀』で独自のスタイルを築いていったと言える。

低俗? でも、天才!

ひとくちに「台湾でも親しまれた志村けんさん」と言っても、その出会いは様々だ。初期は海賊版レンタルビデオの『全員集合』で、次の世代はケーブルテレビで放送された『志村けんのだいじょうぶだぁ』や『志村けんのバカ殿様』、さらに若い世代になると『天才!志村どうぶつ園』だと言えるだろう。

ただ、筆者は『天才!志村どうぶつ園』などで大御所として扱われる志村さんの姿を見るのは不思議な気持ちがした。私達のような中年世代にとっての志村さんはやはり「天才コメディアン」なのだ。彼の芸風は世の中の模範になるものではなかったかもしれないが、志村さんは抜群のセンスで疲れた大人だけでなく、子供にもほっと一息つく時間を与えてくれたのだ。

志村さんのコントには「低俗すぎる」という批判もあるだろう。しかし、多くの人を大爆笑させたという事実を否定することはできないし、笑いを通して弱い立場の人間に、台湾で言えば海賊版レンタルビデオを見るような階層に、励ましと力を与えてくれた。

私達は、志村さんのコントから、人はどんなに惨めな目にあっても、笑っていられるということを学んだのだ。だから、私は志村さんの新型コロナウイルスによる訃報を聞いてもすぐには信じられなかった。志村さんは倒れても、コントの崩壊オチのときのようにすぐパッと立ち上がる……知らず知らずのうちに、そんな期待のような思いを胸に抱いていた。

志村さんなら観客が驚いているなか立ち上がって、あごを突き出し白目をむいて滑りこけ、客席に向かって「冗談だよ!」と叫ぶのではないか。そこに、いかりやさんが登場して、頭を思い切りパシーンとたたくのではないか…。だが、どんなに思いを巡らせても、あの笑いに満ちたシーンはよみがえることはないのである。

バナー写真=コイケヤのポテトチップの発売イベントに登場した志村けんさん、2016年9月15日、東京都内(時事)

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