25回忌に寄せて――歴史の申し子、テレサ・テン

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平野 久美子 【Profile】

アジアの歌姫と呼ばれたテレサ・テン(鄧麗君 デン・リーチュン)が亡くなって、この5月に25周年を迎え、テレビなどでも盛んに特集番組が放送された。今もなおアジアで絶大な人気を誇っているテレサ・テンについて長年取材を続け、『テレサ・テンが見た夢: 華人歌星伝説 』という著書もあるノンフィクション作家の平野久美子氏が、知られざるテレサ・テンのファミリーヒストリーを明らかにする。

「私はチャイニーズです」

ご存じのように30代のテレサは、日本で目覚ましい活躍をして名実共にアジアの歌姫となった。その一方、中国大陸と地続きの香港に生活と仕事の拠点を移し、自らのアイデンティティーを模索していた。外省人2世として台湾に生まれ、中華民国というバックボーンを背負って流行歌手になった彼女は、台湾、香港、東南アジアばかりか世界の華人社会でスターになり、国籍に関係のないアイデンティティーを持つに至ったと思われる。

「私はチャイニーズです」と彼女が話すとき、それは狭義の「中国人」という意味ではない、文化アイデンティティーに基づく“華人”であることを、彼女はアピールしている。1991年にパリで本人にインタビューしたときから、私はそのことをつくづく感じていた。彼女は台湾とか中国という捉え方でなく、世界の華人のために民主化された中国で慈善コンサートを開く夢を育んでいた。しかし、1989年に起きた天安門事件により夢は挫折し、一度も父祖の国を訪ねることなく1995年5月8日に世を去った。

没後25年がたっても、テレサの思い出が脳裏に去来する。自身で作った曲を発表したいとひたむきに努力を重ねていた姿、中国の民主化を願う真剣な表情、そして年下の恋人と戯れあう愛らしい姿態まで、私はテレサのことを忘れない。

改めて、彼女の魂が安らかであれと祈りたい。全てから解き放たれて自由であれと・・・。

テレサ・テン(筆者提供)
テレサ・テン(筆者提供)

バナー写真=ラジカセとテレサ・テンのカセット(筆者撮影)

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ノンフィクション作家。出版社勤務を経て文筆活動開始。アジアンティー愛好家。2000年、『淡淡有情』で小学館ノンフィクション大賞受賞。アジア各国から題材を選ぶと共に、台湾の日本統治時代についても関心が高い。著書に『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』(筑摩書房)、『トオサンの桜・散りゆく台湾の中の日本』(小学館)、『水の奇跡を呼んだ男』(産経新聞出版、農業農村工学会著作賞)、『牡丹社事件・マブイの行方』(集広舎)など。
website: http://www.hilanokumiko.jp/

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