皮まで食べたい台湾バナナ : バナナをめぐる日台の歴史

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大岡 響子 【Profile】

コンビニで1本ずつばら売りされるようになって、バナナは家庭の食卓だけではなく、都会のオフィスにも進出するようになった。ちょっとした空腹を満たすお手軽なおやつとして購入する人も多いだろうが、かつて、バナナは高級で文化的生活の象徴だった。1900年代初頭からの日本人が愛した台湾バナナの歴史をひも解く。

日本人が一番食べている果物

新型コロナウイルスの影響を受けていない業界は皆無だが、バナナも例外ではないらしい。輸入バナナの大半を占めるフィリピン産は同国のロックダウンの影響で出荷や梱包に支障が出ている上に、輸入第2位のエクアドルも出荷を自粛したため、今年はバナナの輸入が大幅に減少しそうだという。

日本人は一世帯あたり年間18.4キログラム(2018年総務省家計調査、2人以上世帯)のバナナを購入している。食卓でおなじみの果物であるリンゴやミカンは2000年以降、購入量が大幅に減っているが、バナナの消費は衰えていない。

実は、日本人がバナナ好きになった原点には、台湾のバナナがある。1970年になってエクアドル産バナナが台湾産の輸入量を上回るまで、日本人にとって「バナナといえば台湾」だった。

「台湾青果株式会社」が作成したバナナの広告(筆者提供)
「台湾青果株式会社」が作成したバナナの広告(筆者提供)

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明治学院大学兼任講師。国際基督教大学アジア文化研究所研究員。専攻は文化人類学。植民地期台湾における日本語の習得と実践のあり方とともに、現在も続く日本語を用いての創作活動について関心を持つ。「植民地台湾の知識人が綴った日記」が『日記文化から近代日本を問う』(笠間書院、2017年)に収録されている。

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