「仕方ない」と流れに身を任せていいの? : 東京在住の台湾・香港人が見た日本のコロナ対策

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鄭 仲嵐 【Profile】

日本で初めて、新型コロナウイルスの感染者が確認されたのは1月15日のことだ。3月以降、本格的に感染者が増え始め、5月14日時点で、累計の感染者数は1万6000人を超えた。コメディアンの志村けんさんや女優の岡江久美子さんの訃報は衝撃をもって伝えられた。戦後の日本が、これほどの感染症の脅威に直面するのは初めてのことかもしれない。SARS(重症急性呼吸器症候群)で感染症の脅威を経験した台湾人と香港人は、日本のコロナ対策をどう見ているのだろうか?

日本政府の反応は「先冷後熱」

中国・武漢市から始まった新型コロナウイルス感染症は、1月に入って中国国内で爆発的に広がった。その後、欧州、米国が感染の中心となり、直近ではロシアや南米で感染者が急増している。日本では、3月に入って本格的に感染者が増え始め、いまだ終息の気配はない。当初の日本政府の新型コロナウイルス対策について、台湾や香港では「遅すぎる」と不安視する声や批判までもが飛び交っていた。それは日本に住む台湾人・香港人も同様で、政府の対応に悲観的な反応が出ていたものだ。

「(1月頃は)日本では誰もが普通に出勤し、新型コロナのことを『中華圏の特殊な病気』と見ていたように思います」、そう語るのは台湾から来日して4年の呉秋燕(ご・しゅうえん)さん(30代)だ。呉さんによると当時、日本人の同僚の関心は薄く、「中国はなんだか大変そう」程度の認識しかないように感じられたそうだ。

そんな「対岸の火事」ムードに変化が生じたのは2月のことである。横浜に入港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染が注目されたのだ。連日、ニュースで大きく取り上げられるようになり、呉秋燕さんはようやく日本人がこの問題に関心を持ち始めたと感じたという。

その後、日本国内で市中感染が疑われる例が増加し、国内でも本格的な対策が取られるようになった。この一連の流れは、日本在住の台湾人や香港人に「日本政府は『先冷後熱』」という印象を与えたという。「先冷後熱」とは、最初は冷たく後に熱くなる、転じて「最初は無関心なのに後から慌て出す」ことを指す。

「日本政府と比べると、民間の反応は速かった」――そう振り返るのは、グローバル展開しているIT企業に勤める30代の台湾人、蔡秉諺(さい・へいげん)さんである。たとえば彼が2月初めに乗った東京行きの飛行機では、全ての乗客が自主的にマスクをつけており、また各所でアルコール消毒が積極的に行われていたという。

蔡さんは、日本政府は初期段階のウイルス封じ込めに自信があったのではないかと感じているそうだ。中国から広がった新型コロナウイルスは、近場の日本ではなく、欧米諸国で急激に広まった。その原因として指摘されているのは、欧米におけるソーシャルディスタンスの近さと手洗いなどの衛生習慣があまり根付いていなかった点である。

日本はもともと、友人同士であってもハグやボディタッチが少なく、人と人との距離がある程度、保たれている。さらに手洗いやうがいの習慣も根付いている。もし新型コロナウイルスの感染力が当初言われていたように季節性インフルエンザのようなものであれば、日本での感染拡大はここまで深刻にはならなかったかもしれない。

筆者は2月に来日して東京での生活をスタートしたが、その時点では、日本にはまだ「オリンピック前夜」を楽しむムードがあり、報道もオリンピック開催に向けてのものが中心だった。新型コロナウイルスについては「新型インフルエンザのようなもの」という紹介にとどまり、対策はテレビで手洗いの励行が呼びかけられていたくらいだ。そして、もし感染したとしても、ほとんどの人が軽症で回復するため心配はないと言われていた。筆者は、それまで住んでいた台湾と日本との意識の違いに驚いた。

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ニッポンドットコム海外発信部スタッフライター・編集者。1985年台湾台北市に生まれ、英ロンドン大学東洋アフリカ研究学院卒。在学中に福岡に留学した。音楽鑑賞(ロックやフェス)とスポーツ観戦が趣味。台湾のテレビ局で働いた経験があり、現在もBBC、DW中国語や鳴人堂などの台湾メディアで記事を執筆。著書に『Au オードリー・タン天才IT相7つの顔』(2020,文藝春秋)。インディーズバンド『The Seven Joy』のギタリストとして作曲と作詞を担当している。

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