新型コロナ問題で台湾が教えてくれたこと―マイノリティーへの向き合い方でその国が真の「先進国」かどうかが決まる
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感染者ゼロの日
4月14日の夜、台湾台北市のランドマークである円山大飯店の客室が初めて「ZERO」という言葉を灯した。新型コロナウイルスCOVID-19について、台湾で新規感染確認0人が報告されたのを受けて、これまで努力を重ねてきた人々をたたえ、ねぎらうための輝きである。
総感染者数―429人、新感染者―0人、死亡者数―6人(4月28日現在)
その後、海外より帰台した海軍のクラスター発生でいくらか動揺はあったものの、感染拡大は抑えられている。4月28日時点においては3日連続で新規感染者ゼロ、市中感染は16日間連続してゼロを記録。
この「ゼロ」という数字が与えてくれる「守られている」感覚は強力だ。自分と社会が確かにつながっていて、あまたの手がその間に関わり、大きな信頼に抱きとめられているような・・・。
私は台湾で暮らす一人の外国人、いわゆるマイノリティーだ。配偶者ビザを持っているが、台湾の国籍を有しているわけではない。それでも今はっきりと、自分がこの共同体を構成しているひとりだと感じる。自分という個人の輪を広げていくと台湾社会になり、そこに落っこちてしまいそうな穴が開いていないように思える。大げさな言い方だが、こういう感覚を味わうのは生まれて初めてかもしれない。世界が今まで以上に美しく、いとおしい。まだまだ予断を許さないとはいえ、今のところコロナ対策に成功している台湾は、世界中で猛威を振るっているコロナ禍を通じて新たな風景を見せてくれている。それは、真の「先進国として」のマイノリティーへの向き合い方である。
BBCの報道番組「ニューズナイト」の司会者エミリー・メイトリスは、「多くの政治家が口にする、コロナウイルスは金持ちにも貧乏人にも平等であるという言い方は不遜である。実際には、低所得者ほど感染する危険が高く、これは公衆衛生の問題であると同時に、社会福祉の問題なのだ」と言った。実際に、米国では多くの州や地域で黒人の感染者の割合が著しく高いという報告もある。その理由については、貧困からくる糖尿病・心臓疾患・肺疾患など基礎疾患の影響や、医療における差別、テレワークが困難な仕事をしている人が多いことが指摘されている。
歴史の全てが今回の対策に生かされている
しかし台湾では今のところ、比較的平等に誰もが守られていると感じる。マスク一つ取っても、老いも若きも富めるものにも貧しきものも、皆にサージカル・マスクが行きわるようになった。
夜市や屋台も営業している。公立の美術館や博物館は、消毒や入場制限をしつつ開館を続ける。子供たちも、毎日元気に学校へ通っている。経済格差や家庭環境の影響が特に大きいのが教育だ。もし学校に通えずホームスクーリングになった場合、オンライン環境や学習意欲の差は子供の将来に関わるだろう。また台湾では、2019年に合計160,944件の家庭内暴力(DV)が報告されており、その中でも児童虐待は20,989件を占める。もし学校がなければ、少なくない数の子供たちが始終、虐待の危険にさらされることになる。
徹底的な水際・封じ込め対策を行ってきた台湾で暮らして分かったのは、今回のように感染症などが流行した場合、できるだけ早い封じ込めを目指しながら、情報をオープンにして共同体全体と信頼関係を築くことの重要性だ。最初は社会的コストがかなり予想されるとはいえ、先延ばしにして都市がロックダウンすることになった場合のダメージは計り知れない。またそのおかげで、マイノリティーであっても生存を脅かされずに済む。
世界で今回のコロナ対策における台湾の評価はうなぎ登りである。従来の中国との緊張関係によりWHO(世界保健機関)を過信せず独自の対策を講じたことや、SARS(重症急性呼吸器症候群)の経験、論功行賞にとらわれず実力に応じて専門家を閣僚に任じ尊重してきたことが、多くのメディアや論者によって指摘されている。どの理由もその通りだと思う。しかし、根本的な理由はもっと深いところにあるのではないかと感じる。簡単に言えば、台湾がたどってきた歴史の全てが、今回生かされている、というものだ。
マイノリティーへの「自分ごと」という向き合い方
台湾のモットーとは何だろうか?それはWHOのテドロス事務局長が「台湾からの人種差別攻撃を受けている」と台湾を非難した際に、蔡英文総統が応じた「台湾は長年国際社会から排除され、孤立する意味をよく知っている。台湾はいかなる差別にも反対する。台湾の持つ価値観は自由、民主、多様性、寛容である。テドロス事務局長を台湾へ招待したい。そうすれば我々の努力が分かるだろう」(筆者簡訳)という品格ある反論に、端的に示されている。
台湾がこうした価値観を獲得するまでの道のりは、長く険しい。50年間の日本植民地時代を経て、1945年を境に中華民国国民党の統治下に置かれた台湾では、二二八事件をきっかけに戒厳令が敷かれ、無実の人々が政治弾圧のために拘束・処刑される「白色テロ」の時代を経た。その後、1980年代に盛り上がった民主化運動を受けて1987年に戒厳令が解除され、1996年の総統の直接選挙につながった。「台湾人の台湾人による自決権」が、ついに実現される。
3度の政権交代を経験した台湾で育まれたのは投票による「チェック機能」だった。選ばれたリーダーが権力を悪用したり落ち度があったりしたと感じれば、台湾の有権者は大規模なデモを行い、糾弾し、投票で政権から容赦なく引きずり下ろした。
民主化と共に爆発的に盛り上がったのは、長年抑圧されて来た女性や先住民族、性的少数者(LGBTQ)などのマイノリティー権利運動である。2005年には憲法で立法委員(国会議員)の女性議員の比率にクオータ制(※定数の約3割を占める比例代表において、各政党は半数以上を女性にしなくてはならない)を導入し、女性議員の比率を高めた。また近年の先住民族運動における掛け声「部外者はいない(没有局外人)」にも顕著なように、あらゆる災禍や不平等を「自分ごと」としてとらえ、寄り添い、手助けしようとする気持ちも育まれた。これは、2011年東日本大地震の際に日本に贈られた莫大な義援金にも表れている。
2019年にはアジアで初めて同性婚が法律で認められ、男女格差を表すジェンダーギャップ指数は、世界9位である(日本は121位)。
さらに今年1月の総統選で、蔡英文政権を再選へと導いた大きな「自分ごと」があった。2019年の香港デモである。中国政府による、香港はじめウイグル・チベットへの弾圧、情報統制や人権侵害を真近で目撃してきた台湾は、いま手にしているリベラルな価値観が経済的豊さと引き換えにできないことを認識し、自らの台湾アイデンティティーにその意識を同化させたのだと思う。
つまり、今回のコロナ禍が問うているのは、その共同体が常に価値観をアップデートさせてきたかどうか、なのだ。例えば台湾・ニュージーランド・ドイツなど、今回のコロナ対策で死者を比較的低く抑えている国の共通点は女性がトップという話がある。
ここから導き出される答えは、女性が優秀であるといった話ではないだろう。女性がリーダーになれる国では、伝統的なジェンダーや慣習よりも実力や新しい発想が重んじられ、マイノリティーが重視され、柔軟に社会が変わってきたのだと思う。マスクアプリ開発で日本でも一躍有名になった天才IT担当閣僚オードリー・タン(唐鳳)氏の起用も、そうした例のひとつだろう。こうした国々が今、さまざまな先進的な施策によって世界を引っ張っている。
日本の行政のマイノリティー排除
対して、日本社会におけるジェンダーやマイノリティーへの眼差しはどうだろうか?
唐突な全国一斉休校措置では、防疫上の是非はともかく、多くのシングルマザー/シングルファーザーが窮地に追い込まれた。臨時休校に伴って仕事を休んだ保護者には支援が発表されたが、風俗産業で働く女性らは当初、除外されていた。セックスワーカーにはシングルマザーも多く、貧困家庭のやむにやまれぬ選択肢として機能している例も少なくない。セックスワーカーの労働環境改善に取り組む団体「SWASH」はすぐさま見直しを求めたが(ちなみに台湾で同様の団体「日日春關懷互助協會」もすぐさま日本の厚生労働省に対して抗議声明を出した)、このことがあらわにしたのは、日本の行政における明らかな職業差別であり、マイノリティー排除である。
収入が減少した家庭への支援も、二転三転して不安や不満を増幅させた。航空会社の客室乗務員(CA)が防護服の縫製を手伝うと言ったニュースは、時代錯誤的な女性差別を感じさせ、裁縫の専門職を軽んじていると非難された。
日本から聞こえてくる対策に共通して感じられるのは、生活者が抱えている恐怖や困難へ寄り添う想像力の決定的な不足だ。この点で、台湾政府はまったく対照的である。毎日開かれる記者会見では、現状や見通しといったグランドデザインが分かりやすく示され、スピード感もある。先日台北のナイトクラブの従業員に感染者が見つかり、全てのナイトクラブやダンスホールの営業停止となったが、無条件で従業員への1~3万台湾ドル(約3.5~11万円)の緊急支援が営業停止から1週間のうちに発表された。現在の新規感染者ゼロがうまく続けば、6月からは順次規制を緩めるとの見込みも明示されている。
ジェンダー平等教育への気配りも忘れない。例えば、配給のマスクがピンクで恥ずかしいという男子児童へ向けて、疾病対策センター(CDC)の陳時中指揮官は記者会見で自らピンクのマスクをつけて登場し、「ピンクは素敵な色だよ」と語りかけた。
想像力とはなにか?それは「愛」にほかならないと、陳時中指揮官をはじめ台湾政府の日々の応対を見ていると改めて感じるのである。
台湾を排除する世界の問題点
蔡英文総統がWHOのテドロス事務局長に語りかけた言葉の最後にとても示唆的な表現があった。
「台湾が加入してこそ、WHOのパズルが完成すると私は信じています」
人や物が自由に行き来して作り上げられたグローバルな現代世界。物流も今のところは止まっていないようで、飛行機のカーゴや船のコンテナは日々世界をめぐる。そこにウイルスが付着して運ばれる可能性はないだろうか?大型の船や石油タンカーも各国を行ったり来たりしているが、そこでダイヤモンド・プリンセス号のような船内感染が起こったりはしないのだろうか?多くのものを輸入や輸出に頼っている台湾には、新たな困難のステージが待っている。
つまり、どこかの国だけが封じ込めに成功しても、グローバルでの足並みがそろわなければ新型コロナの終息が見えない以上、台湾が多くの国際機関から排除された現状世界は、明らかに不完全で「完成しないパズル」である。
社会におけるマイノリティーにも、同じことがいえる。マイノリティーが社会福祉のセーフティーネットからこぼれ落ちてしまったとき、そこからまた感染は拡がるかもしれない。シンガポールでは封じ込めに成功していたところ、劣悪な環境で暮らさざるを得ない外国人労働者から再び感染が急激に拡がった。今回のことで可視化されたのは、あらゆる人がクモの巣のようにつながりあって世界が構築されており、誰も「部外者」ではありえないことだ。
排除によってマイノリティーを落とし穴にしてはならない。台湾はあらん限りの力を使って、世界に向けてそのことを呼び掛けているように思える。
マイノリティーは存在していて、それだけでもうすでに、かけがえのない世界の一員なのだ、と。
バナー写真=「ZERO」という言葉を灯した台湾台北市の円山大飯店、2020年4月17日(AFP/アフロ)