あなたが私を外人と呼ぶ前に

社会

差別用語になり得る言葉を全部禁止すれば差別がなくなるわけではないし、逆に、何ら差別的な意図がなくても、単に知識がないため差別用語を使ってしまうケースもある ―― 日本語で創作活動する台湾人作家・李琴峰が「外人」という言葉を深く深く掘り下げて考えた。

再び、「外人」は差別用語か

当然、この類の言葉は往々にして自明ではなく、「差別だ」「差別じゃない」などの論争になりがちなのだろう。また、差別用語になり得る言葉を全部禁止すれば差別がなくなるわけではないし、逆に、何ら差別的な意図がなくても、単に知識がないため差別用語とされる言葉を使ってしまうケースもある。言葉を使う表現者として、私も過度な言葉狩りは好ましくないと考える。「屠殺」「屠畜」といった言葉は一切使わず、小説の中でも全て「食肉処理」に直せと言われても困る。「障害者」が駄目だから「障がい者」に直せというのは、漢字に親しむ者としてどうも受け入れがたい。だからせめて「障碍者」と書くようにしているが、結局「害」が「さまたげ」になるだけだ。最近書いている小説で「漢族」という言葉を使ったが、校閲者に差別語だと指摘された時は、流石に違うのではと思った。

また、言語や文化の違いが誤解を生む例もある。「原住民」は日本語では差別的な意味合いが含まれているが、台湾では正式名称である。「部落」「百姓」も中国語では差別的なニュアンスがない。逆に台湾では「外籍労工」「外籍配偶」は用語として好ましくないとされているが、字面は「外国籍労働者」「外国籍配偶者」という意味で、日本語の用語として何ら問題はない。もともとは差別用語だが、当事者のムーブメントによって差別的な意味合いが消え、言葉が奪還される例もある。英語の「クィア」がその例である。最近、レズビアン当事者は自分を「レズ」と呼ぶ人が増えているが、当事者以外ははまだ控えた方がよさそうだ。

「外人」が差別用語かどうか見定めるためには、この言葉がどんな文脈で使われてきたか調べる必要がある。そして恐らく、「外人お断り」といった差別的な用例も、「かっこいい外人さん」といった肯定的な用例もたくさん出てきて、結論がないままだろう。

結局、「外人」が差別用語かどうか、私には分からない。ただ、この言葉がまだ(本人の意思ではどうにもならない)外見的な特徴を基準にしている限り、そして物珍しさのニュアンス(「ママ見て、外人さんだ!」)を帯びている限り、私はこの言葉で呼ばれたくはない。

だから、あなたが私を外人と呼ぶ前に、どうか考えてみてほしい。目の前にいる相手を不快な気持ちにさせてまで、本当にその言葉を使う必要があるのかということを。

バナー写真=Fast&Slow / PIXTA

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