あなたが私を外人と呼ぶ前に

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李 琴峰 【Profile】

差別用語になり得る言葉を全部禁止すれば差別がなくなるわけではないし、逆に、何ら差別的な意図がなくても、単に知識がないため差別用語を使ってしまうケースもある ―― 日本語で創作活動する台湾人作家・李琴峰が「外人」という言葉を深く深く掘り下げて考えた。

「外人」は差別用語か

「『外人』は差別用語だ」という説について、ネット上でも賛否両論がある。差別用語だと考える人は、その言葉は排外的あるいは侮蔑的なニュアンスを帯びており、そう呼ばれるのは不愉快だと主張する。差別用語じゃないと考える人は、「外人」は単なる「外国人」の短縮形であり、それ自体には差別的な意味合いが含まれていないと主張する。

前者の印象論はともかくとして、「『外人』は『外国人』の短縮形」という主張は、言語学的な検証ができるはずである。「『外人』は『外国人』の短縮形」であることを証明するためには、少なくとも①「外国人」という語が先にあり、②ある特定の時期から「外国人」の短縮形が必要とされ、それに応じて「外人」という語が生まれ、③現在においても「外人」と「外国人」の語義とニュアンスはたいして変わらない、という3つの条件を満たす必要がある。もし④「外国人→外人」のような短縮例が他にもたくさんあれば、なおさら言語学的な実証に繋がるだろう。

しかし、「『外人』は『外国人』の短縮形だ」と主張する人たちの意見を読んでも、①②を証明する文献は出てこない。④について、「外国人→外人」のように、3文字の漢語の1文字目と3文字目を取って略語とするような例は、少なくとも私にはあまり思い浮かばない。せいぜい「外国車→外車」くらいのものではないだろうか。そして③、残念ながら現代の日本語において「外人」と「外国人」の意味合いは大いに違うように思う。「外国人」は「日本国籍を持たない人」を指すのに対し、「外人」は往々にして「見た目(肌の色、顔立ちなど)から、(生粋の)日本人ではないと判断される人」を指す。前者は「国籍を持っているか否かという状態」が判断基準だが、後者は明らかに「種族、血統、外見」などを基準にしているのだ。

外見的な特徴が日本人とほぼ区別がつかない外国人(台湾人、中国人、韓国人など)は、「外人」と呼ばれることが滅多にない。アメリカ国籍の黒人は日本国籍を取得すれば「外国人」でなくなるが、恐らく(その子供世代も)「外人」と呼ばれ続ける。特別永住者は法的には外国人だが、「外人」という言葉を聞いたとき彼らを思い浮かべる人は少ないだろう。このように、「『外人』は『外国人』の短縮形だ」という主張は、残念ながらどうも無理がある。違う言葉だと考えた方がよさそうだ。

では、呼ばれる側の感じ方だけで、ある言葉が差別用語だと断言できるかどうかというと、そうとも言い切れない部分がある。第一、言葉の感じ方は人それぞれである。アンケートを取ればいいという話でもない。ある言葉が指し示す対象に対してアンケートを取り(実際にはそういうアンケートを網羅的に実施することは不可能に近いが)、70%の人が「不愉快だ」「侮蔑的だ」と思っているという結果が出たところで、それが数の暴力ではないという保証はない。頭数だけで、言葉の良し悪しないし生き死に(みんなに忌避される言葉はいずれ死語になる)を決めるのは、どうも違和感があるのだ。

思うに、ある言葉が差別用語とされるかどうかは、その言葉が生まれた背景と、使われてきた歴史的な文脈に依存するところが大きいのではないだろうか。

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李 琴峰LI Kotomi経歴・執筆一覧を見る

日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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