SARSから17年を経て変わった台湾 : 防疫意識がウイルスを閉じ込める網に

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木下 諄一 【Profile】

新型コロナウイルスによる感染症の封じ込めに成功していると世界から注目される台湾。しかし、人々の間には自粛疲れもあり、4月の大型連休には観光地に多くの人が出掛けたという。それでもなお、感染者が少なく抑えられているのはなぜなのか―台湾在住の筆者が読み解く。

台湾はWHOをどう見ている?

17年前、SARSが発生したとき、台湾はひたすらWHO(世界保健機構)を頼って、見事に見放された。ほかの国が正常に動いている中で、台湾は収束がもっとも遅れ、そのせいで観光業をはじめ産業は大きな打撃を受けた。当時はぼくもメディアや業者向けに「台湾はもう正常です。安心して下さい」という原稿や手紙を幾つも書いたが、それでも回復は思うように進まなかった。

それもあって、今回の防疫対策は初めからWHOの協力が得られないことも想定範囲内。「自立自生」が大前提だった。しかし、ぼく個人としては結果的にこれが幸いしたように思う。

先日WHOのテドロス事務局長が「差別や個人攻撃を受けた」と台湾を名指しで非難した。

これに対して蔡英文総統はフェイスブック(FB)ですぐに反論した。

「台湾はどんな差別に対してもずっと反対してきた。わたしたちはずっと国際組織から排除されてきたから、だれよりも差別と孤立について理解している。この機会にテドロス事務局長には台湾に来てもらいたい。そしてわたしたちが差別と孤立の中においても、どれほど国際社会に貢献するために努力しているか感じてもらいたい」

自由時報が行った街角インタビューではWHOのことを「中国衛生組織」と呼んだり、「テドロス事務局長は早く病気から治って」といった皮肉の効いた回答もあったが、そこに怒りは感じられない。むしろ「台湾にとってというより、世界的に見たら加入したほうがいい」、そんなWHOのことを気遣うコメントのほうが多く見られた。

こうした考え方の根底にあるのが、3月12日、台湾の防疫対策に興味を持ったイギリスBBCに対して行った会見の中で指揮センターの陳時中部長の言葉だと思う。「WHOに対してどう思いますか」という記者の質問に対して、陳時中部長は「ウイルス感染に国境はない。漏れる穴があってはいけない」と答えている。

蔡英文総統も反論の最後にこう言っている。

「台湾が加入することでWHOのパズルは完成する」

世界で称賛を集める台湾の防疫対策

今回、台湾で行われた一連の防疫対策が世界で称賛を集めている。何故台湾はできるのだろう。

その答えについて、ぼくは17年前の問題をひとつずつ地道に解決していった結果だと思う。

あの時は台湾には猛烈な伝染病に対する知識も経験もなかった。物資も欠如し、対策の指揮系統もない。陳水扁総統の中央政府と馬英九市長の台北市政府の協力もうまくかみ合わず、手探りの応急措置が無駄に繰り返されるだけだった。だれもがこぞってマスクを買い求め、医療スタッフのマスクが足りなくなる。さまざまな噂が飛び交い、通報が異常に増えて混乱を招いた。その結果、どん底に落ちた。

台湾は17年の月日をかけて、これらをひとつひとつ改善していった。

加えて今では独自のSOP(標準業務手順書)やAIを活用したシステムまで構築している。隔離のための陰圧室の数も大幅に増えた。当時封鎖に追い込まれた和平病院でも「次」を想定した訓練を毎年欠かさず行っていた。

そして何よりも大きな要素はその根底に国民の危機感とそこから生まれた強い防疫意識があったことだ。

これら全部が17年前とは違っていた。台湾はあの時とは変わった。

バナー写真 : アフロ

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小説家、エッセイスト。1961年生まれ。東京経済大学卒業。商社勤務、会社経営を経て台湾に渡り、台湾観光協会発行の『台湾観光月刊』編集長を8年間務める。2011年、中国語で執筆した小説『蒲公英之絮』(印刻文学出版、2011年)が外国人として初めて、第11回台北文学賞を受賞。著書に『随筆台湾日子』(木馬文化出版、2013年)、『記憶中的影』(允晨文化出版、2020年)、『阿里阿多謝謝』(時報文化出版、2022年)、日本語の小説に『アリガト謝謝』(講談社、2017年)などがある。フェイスブックとYouTubeチャンネル『超級爺爺Super G』を開設。

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