SARSから17年を経て変わった台湾 : 防疫意識がウイルスを閉じ込める網に

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木下 諄一 【Profile】

新型コロナウイルスによる感染症の封じ込めに成功していると世界から注目される台湾。しかし、人々の間には自粛疲れもあり、4月の大型連休には観光地に多くの人が出掛けたという。それでもなお、感染者が少なく抑えられているのはなぜなのか―台湾在住の筆者が読み解く。

人々の高い防疫意識

あれから17年。中国の武漢で再び恐ろしい伝染病が発生した。新型コロナウイルス感染症だ。

意外かもしれないが、SARSの時のような恐怖は感じなかった。むしろ感じたのは周囲の警戒心。人々の極度に高い防疫意識だった。

もっとも分かりやすいのがマスクだ。

ぼくは普段、家での仕事が多い。人と会うことはそれほど多くない。だから武漢発の肺炎が流行し始めたというニュースを聞いた時でも、自分との間に距離があるというか、いまいち実感はなく、マスクを着用するという発想が気薄だった。

そんなぼくがバスに乗ると、ほかの人との温度差を感じた。バスの中でマスクをしていないと、錯覚かもしれないが、周囲から無言の圧力を感じて罪悪感のようなものを覚える。その感覚は日増しに強くなり、いつしかマスクを忘れたらバスに乗れないという気持ちになっていた。ちなみに現在はバスに乗るときはマスクの着用が義務付けられている。

外国人の入境禁止が決まったのは3月17日のことだ。

その少し前に、ぼくは夫婦で食事に出かけた。その席で日本語を話していたら、となりの台湾人から露骨に舌打ちされた。ちょうど外国人に対する風当たりが強くなりつつあったころで、同じような経験をした友達も数人いた。

ただそうは言っても、実際にその場にいると怒りを覚える。なんでこんな扱いされなきゃいけないんだと思う。しかし帰り道で偶然出会った日本人の旅行者を見たとき、その思いもしぼんだ。若い女の子がふたり。大きなスーツケースを引きながら大声で話している。もちろんマスクなし。いま新型コロナウイルス肺炎が流行していることなどまったく知らないかのようだった。

台湾では普通に生活していて、人々の防疫意識がひしひしと伝わってくる。一人ひとりの意識が結びついて、大きな網が出来上がっている感じだ。この網でウイルスを閉じ込める。そのためには一カ所でも破綻したら、ほかの人たちが頑張っても無駄になってしまう。だれも口に出してはいわないが、確実にそんな雰囲気がある。

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木下 諄一KINOSHITA Junichi経歴・執筆一覧を見る

小説家、エッセイスト。1961年生まれ。東京経済大学卒業。商社勤務、会社経営を経て台湾に渡り、台湾観光協会発行の『台湾観光月刊』編集長を8年間務める。2011年、中国語で執筆した小説『蒲公英之絮』(印刻文学出版、2011年)が外国人として初めて、第11回台北文学賞を受賞。著書に『随筆台湾日子』(木馬文化出版、2013年)、『記憶中的影』(允晨文化出版、2020年)、『阿里阿多謝謝』(時報文化出版、2022年)、日本語の小説に『アリガト謝謝』(講談社、2017年)などがある。フェイスブックとYouTubeチャンネル『超級爺爺Super G』を開設。

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