私たちの公園革命――台湾に「インクルーシブ遊戯場」が生まれた日
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台北暮らしで出会った新しい概念の遊び場
家族で台北に引っ越して来たのは、2019年春のことだ。1年限定の台北暮らし。さあ台湾らしい生活を満喫するぞと鼻息荒く渡台した私たちが、一番多く足を運んだ場所は、振り返ってみれば夜市でも老街でもなく、公園だった。やんちゃ盛りの子どもがいては無理もない。しかし実のところ、台湾の公園に魅せられたのは、私の方だった。
きっかけは、花博公園美術園区にある遊戯場だった。私はそこで初めて、車椅子のまま乗れるブランコを見た。それ以外にも、ベルトのついた椅子型の回転遊具があったり、すべり台までスロープが続いていたり、段差のない砂場に、車椅子に座ったまま遊べるサンドテーブルが設置されていたりと、日本では見たことのない設備がたくさん整えられていた。
衝撃を受けた私は、帰ってからあれこれ検索し、「共融式遊戯場(※1)」という言葉に出会った。英語で言えば「inclusive playground」。年齢や障害の有無、また人種やバックグラウンドに関係なく、誰しもを包摂する遊び場のことを指す。この時から、私たち家族のインクルーシブ遊戯場巡りが始まった。
2020年2月現在、台北市には34のインクルーシブ遊戯場がある。今後2年の間に、さらに25の公園を整備し、59まで増やす予定だという。
市民が上げた抗議の声が台北市を動かす
台北市がインクルーシブ遊戯場づくり(※2)に乗り出したのは、実はそう遠い話ではない。2014年、台北市は、児童の安全な暮らしを守ることを目的に設立された「靖娟児童安全文教基金会」より、「中華民國國家標準(CNS)に抵触する危険な遊具がたくさんある」と抗議を受けた。そこで遊具の検査を開始。CNSの基準から外れるものは、やむなく壊すか、プラスチック製のユニット遊具に置き換えていった。
すると今度は、「子どもたちの遊び場がなくなった」「面白い遊具が壊された」という抗議の声が上がったのである。2015年11月、台北市の公園「改悪」に反対するおよそ30家族が集まり、台北市政府前で抗議の記者会見を開いた。彼女ら/彼らは、「還我特色公園(特色ある公園を返して)」をスローガンに、子どもと一緒にマイクの前に立った。
当時、記者会見に参加した李玉華さんは言う。
「人造大理石(テラゾー)のすべり台や、丈の高いネット遊具など、子どもたちが喜んで遊んだ遊具が次々と壊されて、残ったのは『缶詰式』の遊具ばかり。木馬のスプリング遊具だとか、階段を3段上ってすべる短いすべり台だとか」
私にも子どもがいるから分かるが、そのような遊具で満足するのは、せいぜい2~3歳までだ。それ以上の年齢になると、よりチャレンジ性の高いもの、刺激の強いものでなければ満足してくれない。もちろん安全は何より優先されるべきものだ。しかしこのまま台北市に任せていては、どこもかしこも似たようなユニット遊具の並ぶ「缶詰式」公園になってしまい、子どもたちが心から楽しめる、特色ある遊び場がなくなってしまう、という危機感が、彼女たちを動かした。
彼女たちの言う「特色」には、地域性や多様性、自然豊かであることなど、多くの概念が含まれるが、中でも重要視されたのが「共融」の概念、すなわちインクルーシブであることだった。記者会見を開くにあたって、彼女たちは海外のインクルーシブ遊戯場について勉強し、その意義を説いた。そしてその行動が、台北市を話し合いのテーブルに着かせることに成功したのである。
子どもたちと一緒に遊戯場づくりを開始
現在、台北市の公園路燈工程管理處・南港公園管理所で股長を務める許耀仁さんは、記者会見を受け「たしかに公園の利用者は、彼女たちやその子どもたち市民だ」と思ったという。実際のところ、改修した遊戯場はにぎわっているとは言い難く、わざわざお金を使って市民に利用されないものをつくっても仕方がないという考えもあった。
そこで台北市は、公園改修の方針を転換。広く市民の声を聞くことに決めた。2014年末に就任した柯文哲市長が、ちょうど各方面で市民の参画を推進していた時期で、その政策方針にも合致した。
2017年1月、市民の声を聞いてつくった最初のインクルーシブ遊戯場が、栄星公園に誕生した。CNSの基準にのっとり、安全を第一としつつも、人造大理石のすべり台やネット、ロープ登りなど、挑戦性の高い遊具が設置され、段差のない砂場に小さなサンドテーブルも備えられた。
メディアで大々的に報道されたこともあり、栄星公園の遊戯場は、週末ともなると大盛況。市民の反響も上々だったという。
台北市は公園の改修を進める一方、2年にわたって、海外よりインクルーシブ遊戯場に関わる学者や設計士らを招き、勉強会を重ねた。その蓄積を活かして2018年2月に誕生したのが、先の花博公園にある遊戯場である。台北市はここを、インクルーシブ遊戯場のモデルケースとした。
この頃には、抗議の記者会見に参加した李さんら母親たちで設立したNPO法人「還我特色公園行動連盟(特公盟)」や、安全性の向上を訴えた「靖娟児童安全文教基金会」、また障害のある子どもたちの権利を訴える「台灣身心障礙兒童權利促進會」などの市民団体が、アドバイザーとして会議に出席するようになっていた。「抗議が終わって、今はパートナー」と李さんは笑う。
また、インクルーシブ遊戯場づくりには、何よりも子どもたちの意見が尊重された。例えば2019年6月に開幕した中央藝文公園・華山大草原遊戯場をつくる際には、7回にわたるワークショップが開かれた。子どもたちは、自らのアイデアを自由に描き、設計士の作った模型に意見し、実際の遊戯場にタイルを貼るところまで関わった。参加した子どもたちはみな、できあがった遊戯場に対して、誇りと愛着を持つようになったという。
インクルーシブの核は多様な人たちの参画
これまで利用者の声を聞く機会のなかった設計士や遊具メーカーも、市民が参画する形の遊戯場づくりを通して、本当に望まれているものが何なのか初めて知ることができた。以前は海外で安全検査の済んだ遊具を輸入して設置するだけだったが、次第に国内でカスタマイズ遊具をデザイン、生産することが増えるようになり、台北市の公園はさらに多様に、豊かになっていった。
公園處の許さんは言う。
「みんなに利用してもらえるインクルーシブな遊戯場をつくるには、多様な人に参加してもらう必要があります。子どもたち、保護者、地元住民、また車椅子の人や弱視の人、聴覚障害のある人など、多様な人に関わってもらって初めて、あらゆる人が遊べる遊戯場ができるんです」
つまり「インクルーシブ遊戯場」とは、誰しもを包摂する場を表すと同時に、誰しもが参画できる遊戯場づくりの過程をも指しているのだ。それこそがインクルーシブの核となっている。
台北市が公園改修の方針転換をしてから約5年。現在では台湾各地の自治体も、「缶詰式」とは一線を画す、地域の文化や特性を活かした「特色公園」づくりに乗り出している。その全てにインクルーシブ遊戯場が備わっていたり、市民が参画していたりするわけではないが、台北市から始まった、真に利用者の方を向いた公園づくりの動きが、台湾全土に波及していることに注目したい。
そして折しもこの春、東京にも都立公園として初のインクルーシブ遊戯場が誕生する。場所は世田谷の砧公園と、府中市の府中の森公園。東京都は、今後も同様の遊戯場を増やす方針を示している。さらに渋谷区や豊島区、品川区も、導入に向けて検討中だという。
私は間もなく1年の台北暮らしを終えて帰国するが、日本でも子どもと一緒にインクルーシブ遊戯場で遊べるようになるとは、うれしいかぎりである。
バナー写真=台北のインクルーシブ遊戯場(筆者撮影)