北極星がつないだ台湾先住民族と日蓮宗の日台宗教交流
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京都府・大阪府・兵庫県の県境に位置する標高660メートルの妙見山。ブナの原生林をはじめ、種々の樹木にこんもりと覆われた美しい山だ。山頂付近に日蓮宗の霊場、能勢妙見山がある。参道脇の小さな広場に、高さ3メートル、幅8メートルに達する木製彫刻作品が鎮座している。
何百という木片を束ねたアーチ型のオブジェが、大きな切り株の上から伸びている。その様は海の波涛(はとう)のようにも、強風を浴びてしなる草木のようにも、あるいは虹のようにも見える。上部には一艘の船があり、北の空を向いている。
作品名称は「Facing toward the north, the place to which I return」。北を向けば、そこには私の帰る場所がある、といった意味だ。台湾先住民族アミ族出身のアーティストRahic Talif(ラヘズ・タリフ)氏がアートフェスティバル「のせでんアートライン」の一環として2019年10月に長期滞在して制作し、以後パブリックアートとして設置されている。
「日本の刃物は最高だ」
ぼくは滞在中のラヘズ氏と3日間行動を共にした。インタビューの通訳や打ち合わせを行ったり、雑談を交わしたり、アミ語と中国語と英語で書かれた著書『Journey in the space of 50 steps』も読んだりして、彼のアーティストとしての性格や思考が少しずつ分かってきた。
レンタカーで一緒に仕事道具や生活用品の買い出しに出掛け、たまたま見掛けた個人経営の古くて小さな刃物店に立ち寄ると、ラヘズ氏は瞳を輝かせて彫刻刀やノミなどを物色し、11万円ほども買い物をした。ラヘズ氏は顔をほころばせて「日本の刃物の質は最高だ。いい仕事ができそうだ」と言った。
1962年、太平洋を望む花蓮・港口部落(台湾で「部落」は先住民族の村を指す)に生まれたラヘズ氏は、父方が代々頭目の家系で、母方が巫女(みこ)の家系だった事もあり、アミ族の伝統的な文化や思想の影響を強く受けて育った。15歳で一人都会に出て、30歳のとき故郷に戻り、2011年からはやはり台湾東海岸にあるアミ族の町・都蘭の、日本統治期に造られた製糖工場跡地にアトリエを構えて創作活動を続けている。
制作に用いる素材は一貫している。海辺で拾った流木をはじめ、ビーチサンダル、漁網、ボトル、今は廃虚となった製糖工場で日本統治期以来サトウキビを搾るのに使われていた麻布など、大自然から与えられた物か、あるいは大量生産されて後に廃棄された物たちだ。
創作の原動力は、海洋の豊かさ。自然の力への畏怖、太古から受け継がれてきたアミ族の思想と生活様式への敬愛。彼の愛する大自然やアミ族の伝統文化が、現代社会の荒波で消失していく状況への危機感。そして、大自然の豊かさと伝統の知恵を見つめ直し、失われたものを取り戻そうとする意志だといえる。自然破壊や少数民族文化の衰退が加速度を上げて進む現代、アミ族の伝統に立脚した思考の表出たる一連の作品は、世界中の一人一人が受け止めるべき強いメッセージ性を有している。
自然災害をテーマに
今回ののせでんアートラインはテーマが「避難訓練」であり、10年以上前から台風をはじめとする自然災害を創作上のテーマとしてきたラヘズ氏はぴったりの人選だった。驚くべきは、会場となる霊場・能勢妙見山と、アミ族の伝統的観念が、共に天空の星を崇拝しており、そのシンボルまでそっくりという偶然の一致だ。
能勢妙見山の境内を歩いているとき、あちこちで十字型のマークを目にした。筆者はキリスト教の十字架を連想したが、鎌倉時代からこの地を治めていた能勢氏の家紋で、今は北極星のシンボルになっていると教えられた。日蓮宗の寺でなぜ北極星が信仰されているのかというと、平安時代以来、北極星を神格化した「妙見大菩薩」が祭られてきた事に由来している。
一方、アミ族の自然崇拝的信仰においては太陽が天地を創造した最高神であり、太陽や星のトーテム「八角星」は、能勢妙見山のシンボルと不思議なほどそっくりの形をしている。また月も神話の中で重要な意味を持っていて、ラヘズ氏は筆者に、彼の故郷に言い伝えられてきた神話を語ってくれた。
「昔々、二人の兄妹が小船をこいで漁に出た。いつしか来た方向を見失ってしまったが、兄は父母から聞かされた教えをおぼえていた。『もしも航海の途上で方角を見失ったら、月の方向へ船を走らせなさい』。それで二人は夜を待って月に向かって船をこいで行き、月が山に隠れようとする頃、陸地に漂着した。二人は船の木板のすき間に詰まっていた粟の実をまいて育て、ずっとそこに暮らした。その土地こそぼくの生まれた港口村だ」。
今回制作された木製彫刻は、この神話がモチーフとなっている。
仏教とアミ族信仰の交流
のせでんアートラインのクロージングセレモニーで、ラヘズ氏は先祖代々伝わる麻の衣や、太陽や月のシンボルが刻まれた木の首飾り、色鮮やかなポーチ等を身に付けた上で、ゆっくりと作品の周りを歩きながら、2つのアミ語の歌をささげた。一つは今回の巨大台風で犠牲となった人々の魂を慰めるために、もう一つは開幕時にラヘズ氏がこの地へ呼び寄せた祖霊を元いた場所へ送り返すために。清らかでかつ力強いアミ語の歌声が、木立に囲まれた山上の広場に響き渡った。
歌の後で、宿坊の屋根の上から芽を出したカエデの苗木をラヘズ氏が作品を見下ろす位置に植え、執事長の新實信導上人が法華経を読経された。
日蓮宗は他の宗教・宗派に対してかなり厳しい宗派という印象を持っていたので、台湾原先住民族の伝統的信仰に基づく作品を境内に恒久設置し、祈りもささげる様子を見て、考えを改めさせられた。
思想や価値観の異なる者同士が、真偽や優劣を論じるのではなく、まずは双方の共通点に着目して、それを端緒に互いを認め合い、よい関係を築いていく。そういうプロセスを経てきた今回のアートプロジェクトは、異国間の思想的交流としても、大変優れた実例になったと思う。
ラヘズ氏と日本との関わり
ある日ランチに寄った食堂で、ラヘズ氏は筆者に彼の先祖と「日本」との関わりを語ってくれた。
ラヘズ氏の家族を長期間、実に4代にわたって研究対象としてきた日本人の人類学者がおり、彼が譲り受けたラヘズ家に伝わる祭祀(さいし)用の器や麻の衣(ラヘズ氏が儀式をささげた際に着用したのと同じもの)等が、大阪の国立民族学博物館(みんぱく)に収蔵されているという。
ラヘズ氏は言う。
「ぼくの父は日本統治期に生まれ、学校の先生も日本人だった。その影響を強く受けた父から、ぼくも子供のころ礼儀作法や丁寧な言葉遣いを、また人や物事に誠実に向かい合う態度を教え込まれた。その後ぼくが20代の頃、なんと当時の先生が、日本からわざわざ父を訪ねに来てくれたんだ。ところが先生は父が重労働に従事し苦しい日々を送っている様子を見てがっかりしていた。子供の頃の父はずば抜けて優秀だったから。父は日本の地を踏むことを夢見ていたが、とうとう果たせなかった。だからぼくが日本に来ることは、父の夢を替わりに果たすことでもあるんだ。父の先生については九州出身という以外何も知らないが、いつかお墓参りしたいと思っている」
ラヘズ氏の作品は台東県にある「東部海岸風景區管理処・都歴遊客中心」に多数、展示されている。また、公式サイト上で最新の活動情報をチェックできる。
バナー写真=アミ族の正装で儀式を執り行ったラヘズ・タリフ氏(右)と筆者(筆者提供)