私はどうして丸森町に行ったのか――日本の災害ボランティアに取り組むある台南人の告白(下)

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2019年10月の台風19号によって、水害としては過去最大級の被害を出した日本。その中でも復興がうまく進まずに苦しんでいた宮城県丸森町へ家族と共に復興支援のために駆けつけたのが、台南在住の陳一銘さんだった。その活躍は日本メディアでも報じられ、台湾でも反響を呼んだ。その陳一銘さんが台北でボランティア仲間たちと体験を語り合う集会を開き、多くの聴衆が詰めかけた会場は熱気に包まれた。

日本は友達であり、家族である

一青妙 陳さんはボランティア活動に慣れているように思えますが、どうしてボランティアをするようになったのですか?生い立ちや性格と関係はありますか?

陳一銘 自分はお店を経営しており、繁盛もして、健康で、妻や子供もいて、幸福と思われているかもしれません。だけれども、実は、生まれたときから足に障害を持っていたのです。足の長さが左右違っていて、歩行に問題がありました。同級生にも笑われて、勉強もそんなにできなかった。家も裕福ではなく、兄弟はいますが、自分だけが普通じゃないと思い込んでいました。足の影響で脊椎も悪く、体が痛くて痛くて毎日大変で、病院通いも多く、なんで自分だけがこうなのかいつも問いかけていました。でもあるとき、自分の痛みを受け入れ、痛みが逆に力になったのです。それは勇気をもって自分に向き合うことから始まったのです。

空に輝く流れ星のように、世の中には1秒ごとに死んで、生まれる人がいます。出現しても消えても地球に影響がない人もたくさんいます。だからこそ、自分の人生を他人にどう役立てるかを考えるようになったのです。他人の人生を助ける方法を探すようになり、ボランティアという形になったのかもしれません。自分の子供にも、ボランティア活動する姿を見せることでよい教育にもなっています。

一青妙 最後に、台湾人の目からみて、今の日本人に対する思いを教えてください。

陳一銘 僕は逆に一青さんに聞きたいです。なぜ日本人は丸森にボランティアに行かないのですか。日本人の給料は台湾人よりも多く、心の余裕はあるはずです。僕たちがやったことが、日本人にとって特別だと思われることが意外でなりません。これからは、同じ思いを持つ台湾人に、僕の経験したことを体系化してまとめたり、体験談を話したりしていきたいと思います。一番大切なことは継続することです。次にまたいつ丸森に行くか決めています。

一青妙 台南と日本はとても仲が良いですね。5年くらい前までは、台南はまだ日本人に認知度の低い都市でした。2014年に私の著書『私の台南』が出版されて以来、本を片手に多くの方が台南を訪れるようになり、うれしく思っています。

陳一銘 台南と日本の関係はとても特別だと思います。台南に来る人は、団体客でなく、自由旅行で来る人たちがほとんどです。買い物をすることが目的ではなく、何度もきて、地元の人たちと知り合って、いろいろと話すようになります。台南人は日本人の友達が来ると、またその友達を紹介して、どんどん友達の輪が広がっていく。だから特別だと思います。私も日本人の友達がくると、奥さんと一緒にみんなで食べに行く。こうしたことがとても楽しいです。

台湾人にとって、日本は友達であり、家族であるような気がします。普段から身近にいて、何か大変な災害に遭ったら、当然助けに行きますよね。特に台南人は情を重んじる気性なので、日本と台南はそういう気持ちが重なりあうのでしょう。

一青 陳さんの話を通して最も強く感じたのは、「自然体」ということです。年々盛んになる日台交流ですが、やはり台南と日本のつながりは、他のどこよりも特別なものがあると感じました。数十秒のニュースに映った丸森の惨状に心動かされた台湾人がつないだ絆が、確実に太くなっています。東日本大震災、台南大地震、熊本大地震……。不幸なことがきっかけでも、その先に見えるのは、未来に続く希望に満ちた日台関係だということを教わりました。

陳一銘さんと筆者(筆者提供)
陳一銘さんと筆者(筆者提供)

バナー写真=宮城県丸森町へ災害復興のために駆けつけた陳一銘さんら台湾人ボランティア(陳一銘さん提供)

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