私はどうして丸森町に行ったのか――日本の災害ボランティアに取り組むある台南人の告白(下)

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2019年10月の台風19号によって、水害としては過去最大級の被害を出した日本。その中でも復興がうまく進まずに苦しんでいた宮城県丸森町へ家族と共に復興支援のために駆けつけたのが、台南在住の陳一銘さんだった。その活躍は日本メディアでも報じられ、台湾でも反響を呼んだ。その陳一銘さんが台北でボランティア仲間たちと体験を語り合う集会を開き、多くの聴衆が詰めかけた会場は熱気に包まれた。

日本の地方には若者がいない

以下は(上)から続く陳一銘さんインタビューの続きである。

一青妙 陳さんのボランティア活動は、テレビに報道され、話題になりましたが、どう感じましたか。また、台湾に戻ってからの周囲の反応はいかがでしたか。

陳一銘 記者の人たちも取材を通して復興を助けている。人それぞれのやり方で手助けしているのです。台湾人の存在が報道され、日本人もまだ災害の被害が残っていることに気付いてくれます。取材時間はわずかなもので、自分たちが帰国するときにもう放送されていて、帰国後、反響にはびっくりしました。

一青妙 台湾も日本と同じく、少子高齢化が進んでおり、今後の大きな社会問題になっています。これまで日本には観光で訪れてきたそうですが、ボランティアで出会った日本社会のことはどう思いましたか。これまで抱いてきた日本に対するイメージと違うことに気が付かれたのではないでしょうか。

陳一銘  日本の地方には、本当に若者がいないことに驚きました。岡山も丸森も同じです。丸森への1回目のボランティアは日本の連休でもあり、最初は人も大勢いたのですが、休みが終わると誰もいなくなり、静かになってしまった。残ったのは台湾からきた僕たちだけです。あとは地元の高齢者ばかりでした。丸森の災害は世界に報じられたので、世界中から髪の毛の色が違うボランティアが駆けつけていると想像していましたが、違っていました。

最初は、丸森に到着して「台湾人のボランティアです」と言ったら、町の人たちから「どうしたらいいか分からない」と言われてしまいました。飛行機に乗ってやってきた外国人を初めて見たと。本当に不思議な体験でした。想像していた日本の姿と全く違っていたのです。

でも、丸森の人たちはこれをきっかけに、今後外国人対策について考え始めたようです。ボランティアを兼ねた観光も広がってくれればうれしい。私たちもいろんなことを学びました。ただ手伝うだけでなく、自分も成長できるのです。妻は初めての日本でのボランティアで、現地で何度も感動の涙を流していました。

丸森町で撮った陳一銘さんと家族(陳一銘さん提供)
丸森町で撮った陳一銘さんと家族(陳一銘さん提供)

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