私はどうして丸森町に行ったのか――日本の災害ボランティアに取り組むある台南人の告白(上)

社会 国際交流 防災 地方

一青 妙 【Profile】

2019年10月の台風19号により、水害としては過去最大級の被害を出した日本。その中でも復興がうまく進まずに苦しんでいた宮城県丸森町に突然現れた台湾人ボランティアの活躍が、日本のテレビでも放送され、全国に感動を広げた。その反響の大きさに最も驚いたのは、丸森町に駆けつけた本人だったかもしれない。台湾の南部・台南で飲食店を経営する陳一銘さん(41)は、どうして台湾から遠く離れた丸森町を訪れたのか。陳一銘さんとかねてから交流があり、台南市の親善大使を務める女優・作家の一青妙さんに、その本心を初めて語った。

子供にも伝えたいボランティアの意義

一青妙 陳さんは2度にわたって現地を訪れています。同じメンバーで行ったのでしょうか。どんな違いがありましたか。また、どうして2回、行くことになったのでしょうか。

陳一銘 2回とも違うメンバーです。私は日頃からDIYを得意とし、大工仕事にも慣れているので、今年の上半期は、教会で若者たちと一緒に作業所を建ててきました。1回目のボランティアはそのときの教会の人たちと合わせて12人でした。1回目のときは、まさか2回目も行くとは全く思いませんでした。1回目のとき、丸森町の人たちに「災害で壊れた町ではなく、復興した丸森の美しさを見て欲しい」と言われたので、また行くことを約束していました。復興した後に行くつもりでしたが、雪が降る前に農地などを復元しないと来春、種まきさえできなくなることを知り、居ても立ってもいられなくなり、冬前にまた行くことを決心しました。

丸森町に駆けつけたボランティアらに配布された作業マニュアル(陳一銘さん提供)
丸森町に駆けつけたボランティアらに配布された作業マニュアル(陳一銘さん提供)

ただ、2回目に一緒に行ってくれる人を見つけ出すのは容易ではありませんでした。台南の正興街や信義街、台東の知り合い、台湾企業などに声を掛けました。基本的に、普段から知っている人と一緒に行くことを決めていました。知らない人を連れて行って、実際に現地でスムーズにいかない可能性があり、気心を知っていて理念も同じ人と行くことが大事だと思ったのです。

2回目に集まった人たちは、60代の農業従事者、50代のエンジニア、40代の私と妻、20代の先住民族の人たちがいました。ボランティアにかかった費用は一人1万5000元(約54000円)です。宿泊費だけ払っていませんが、飛行機代、保険、レンタカー、食費など8日間にかかった費用全て含まれています。

ちなみに、2回目の丸森行きは、本当は年に一度の家族旅行でタイに行く予定にしており、妻はやや反対したのですが変更しました。休みを取って旅行に行くことはいつでもできます。重要なことは、家族一緒で有意義な時間を過ごすことです。いくら稼いでお金持ちになっても、子供と一緒に過ごす余裕がなくては、意味がありません。ボランティアをする両親の姿は、子供の成長に必ず役立ちます。子供だけでなく、われわれ夫妻も、ボランティアを通し、新しいことを発見することができます。

1回目も家族3人で参加しましたが、妻と子供にとっては初めてのボランティアでした。妻は現地の人たちとの交流を通し、人の温かさに触れ、涙を流し、台湾に戻ってからは、「人から聞くのと、自分で体験するのは全く違う」と周囲の人に話しています。私の思いを妻も子供も受け入れてくれて、また家族で丸森に向かうことになったのです。丸森を再び訪れた12月2日は保育園でお風呂にも入れず、仲間たちと雑魚寝状態の中、7回目の結婚記念日を迎えたことは、一生忘れないでしょう。

丸森町の住民が台湾人ボランティアに宛てた感謝の手紙(陳一銘さん提供)
丸森町の住民が台湾人ボランティアに宛てた感謝の手紙(陳一銘さん提供)

バナー写真=「丸森、加油(がんばれ)!」と印字された作業服で復興支援を行った台湾人ボランティア(陳一銘さん提供)

この記事につけられたキーワード

台湾 水害 台風 ボランティア 台南 災害復興 台風19号(2019年)

一青 妙HITOTO Tae経歴・執筆一覧を見る

女優・歯科医・作家。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれる。幼少期を台湾で過ごし11歳から日本で生活。家族や台湾をテーマにエッセイを多数執筆し、著書に『ママ、ごはんまだ?』『私の箱子』『私の台南』『環島〜ぐるっと台湾一周の旅』などがある。台南市親善大使、石川県中能登町観光大使。『ママ、ごはんまだ?』を原作にした同名の日台合作映画が上映され、2019年3月、『私の箱子』を原作にした舞台が台湾で上演、本人も出演した。ブログ「妙的日記」やX(旧ツイッター)からも発信中。

このシリーズの他の記事