私はどうして丸森町に行ったのか――日本の災害ボランティアに取り組むある台南人の告白(上)

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2019年10月の台風19号により、水害としては過去最大級の被害を出した日本。その中でも復興がうまく進まずに苦しんでいた宮城県丸森町に突然現れた台湾人ボランティアの活躍が、日本のテレビでも放送され、全国に感動を広げた。その反響の大きさに最も驚いたのは、丸森町に駆けつけた本人だったかもしれない。台湾の南部・台南で飲食店を経営する陳一銘さん(41)は、どうして台湾から遠く離れた丸森町を訪れたのか。陳一銘さんとかねてから交流があり、台南市の親善大使を務める女優・作家の一青妙さんに、その本心を初めて語った。

初めて知った高齢化や過疎に苦しむ日本の姿

一青妙 日本に親日的な台湾の人たちの中でも、台南の人たちは特に日本と関係が深く、友人がいる人も多いです。私も台南では親善大使に任命していただき、日本と台湾の交流に関わっている一人ですが、台南を訪れる日本人も最近とても増えていることに喜んでいます。もともと、台南市の西市場という古い商業施設の活性化に関して陳一銘さんがその市場で開いている「chun 純薏仁」というお店を私の本で紹介する過程で知り合いました。テレビに陳一銘さんと奥さんの辜純純さんが映っていたときは驚きましたが、てっきり丸森町に知り合いがいて、その人とのつながりで今回ボランディアに行ったと想像していたのですが、どうやらそうではないようですね。

陳一銘 子供のころから「日本」の「存在」は私たち台南人の身近にありました。私の家族も祖父と祖母が日本時代の教育を受け、日本語を話していました。近所のお年寄りが「日本時代はとても安全で、家の鍵を閉めなくてもよかった」と懐かしんでいる話も聞かされてきました。6年ぐらい前に西市場で私のお店を開くと、日本のお客さんがたくさんきてくれて、友達もできました。でも、特に普段から日本に関心を持っていた訳でもなく、日本語もほとんど話せません。

そして、丸森のことも全く知りませんでした。ある日、本当にたまたまテレビをつけたら、丸森のニュースが目に飛び込んできました。2018年の「西日本豪雨」のとき、岡山で水害ボランティアに参加した経験がありました。ですから、頭の中に水害に対するイメージもできていました。もしテレビに映っていたのが他の場所だったら、そこに行っていたでしょう。ご縁があったとしか言いようがありませんが、いまでは丸森町に訪れることができて本当に良かったと思っています。

宮城県丸森町にボランティアとして駆けつけた陳一銘さん(筆者撮影)
宮城県丸森町にボランティアとして駆けつけた陳一銘さん(筆者撮影)

一青妙 岡山でもボランティアをした経験があるとは知りませんでした。日本だけでなく、世界各地でさまざまな災害が起きています。日本のことは特に意識していないと話されましたが、岡山に続き、丸森に行ったことで、陳さんは日本にこだわっているように思えるのですが、その辺はいかがでしょうか。

陳一銘 台南と日本は特につながりが強いと感じています。私は小さい頃から台南で育ってきて、日本はとても強大な国家というイメージを持っていました。台湾はなんでも日本を見習ってきた。日本には先進的技術があり、優秀な人材が多くて、経済が発達した国というイメージです。日本は今もそういう国だと完全に思っていました。ですが、テレビで流れているニュースでは、岡山で一人でも助けが必要だと報じていたのです。実際に行ってみると、日本も高齢化が進んでいて、地方は過疎化に苦しんでいる中の災害だと分かって、たいへん驚きました。

そして今回も、特に地方のどこかに助けに行きたいと感じたのかもしれません。それに、日本は近くて、旅費も負担できる金額の範囲でもあります。正直、被災地がもっと台湾から遠い国だったら、行けなかったと思います。ただ、台南で2016年に大きな地震があったときに日本から多くの支援を受けた経験があります。私としては、日本に対してはやはり恩返ししたいという思いがあったのも確かです。

結局、岡山には18年8月6日から8日まで、1回目の丸森町には19年11月3日から9日まで、2回目の丸森町は19年12月2日から9日まで、訪れています。お店のこともあり、せいぜい一週間ほどしか滞在することができませんが、それでも、受け入れて下さった地元の方々のおかげでとても貴重な経験をさせてもらったと思っています。

丸森町の災害復興を手伝う台湾人ボランティア(陳一銘さん提供)
丸森町の災害復興を手伝う台湾人ボランティア(陳一銘さん提供)

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