香港警察こそ暴徒ではないか——映画『インファナル・アフェア』俳優アンソニー・ウォン(黄秋生)に聞く

Cinema エンタメ 政治・外交 国際

数々の香港映画で刑事役などを演じてきたスターが、「雨傘運動」で中国への批判的な発言がきっかけで、表舞台から遠ざけられていたことを知っているだろうか。久しぶりに銀幕に戻って演じたのは、皮肉にも自らの境遇に重なる「淪落の人」だった。名優の鋭い舌鋒は、抗議デモを鎮圧した警察にも向けられた。

香港映画のスターであるアンソニー・ウォン(黄秋生)が来日した。2018年に香港で大ヒットし、2020年2月に日本で公開される『淪落の人』(原題:淪落人)の宣伝のためだ。「淪落(りんらく)」は、「世の中から相手にされない、落ちぶれる」の意味で、事故で半身不随となった香港人の中年男性と、フィリピン人のメイドが対立を経て心を通わせるヒューマンストーリーだ。いま、アンソニー自身が、2014年に香港で起こった民主化要求運動「雨傘運動」で中国政府への批判的な発言をしたことで、香港・中国映画界から締め出し(封殺)を受けている。その彼に、香港のデモ、香港警察、香港映画について話を聞いた。

かつての「皇家警察」が、いまではヤクザのようだ

数々の映画賞を受賞しているアンソニー・ウォンで、真っ先に思い浮かぶのは、世界的な大ヒットとなった名作シリーズ『インファナル・アフェア』の刑事役である。任務の重み、犯罪組織との緊張関係、組織内の対立、同僚の死などに苦しみながら、歯を食いしばって正義の実現にむけて耐え抜く役柄を演じた。抑制の効いた演技とにじみ出る人柄が、多くのファンの心をつかんだ。

『インファナル・アフェア』に描かれたのは、英国女王から認証された「皇家警察」と呼ばれた時代の香港警察で、市民にとっては英雄的存在だった。

2019年6月、逃亡犯条例改正をきっかけに、香港では抗議行動が巻き起こった。市民は、警察が過剰な武器使用を行っていると反発し、警察は「暴警(暴力警察)」とも呼ばれた。

「香港警察は変わったと思いますか」という質問に、アンソニーは「ああ、本当にもったいないことだが、皇家警察の名前はもう過去のものになった。私は、皇家警察のイメージキャラクターをやっていたときもあったから、記念品をいっぱい持っているんだよ(笑)。いまの警察はヤクザのようなものだ。警察なんて呼びたくない。(香港を占領した)日本軍よりも悪辣(あくらつ)だよ。日本軍は大学を攻撃しなかったが、連中は大学も攻撃してるのだから」と嘆いた。

11月に起きた香港中文大学、香港理工大学でのデモ隊と警察の攻防に話が及ぶと、アンソニーの口調はより鋭くなった。

「英国には、各国の皇家警察が加入できるクラブがあり、1997年の香港返還後も香港警察はメンバーに入っているんだが、今回、英国議会では何人かの議員が『もはや皇家警察の名称にふさわしくない、彼らを仲間に入れているのは侮辱的なことだ』といって、女王に香港警察のステータスの取り消しを求めているらしい」

シリーズ2作目の『イナファナル・アフェア 無間序曲』には、香港が中国に返還された7月1日、アンソニー演じる刑事が、皇家警察のバッジを外して、中華人民共和国香港特別行政区警察のバッジに着けかえる象徴的なシーンがある。刑事は国が変わっても、市民を守っていく任務への忠誠を変えない決意を示すところだ。

「市民を守る」警察はもはや幻になったのだろうか。だとしたら、香港警察はいったいいつから変わったのか。アンソニーは、雨傘運動の頃と比べて大きな変化があったと指摘する。

「雨傘運動の時は、警察の対応に、まだいまのように恥知らずで非合理的なことはなかった。しかし、現在は『社会の安定に役立つ』という機能を失って、ただひたすら、社会を破壊しているように見える。何もないときに出てきて問題を起こし、市民を挑発して、取り締まりと称して暴力を振るっている。(デモ隊を暴徒と呼ぶならば)むしろ連中こそ暴徒ではないか」

「一国二制度を決めた者こそ香港独立派」と主張し批判を浴びる

1960年代以前の香港警察は組織の腐敗が深刻で、社会から忌み嫌われていた。そこに、腐敗取り締まりを任務とする「廉政公署」が1974年に設立され、組織の浄化が始まった。

その後、ジャッキー・チェンが主演・監督した『ポリス・ストーリー香港国際警察』(1985年)で描かれたように警察のイメージは格段とアップした。以後、アンソニー・ウォンが出演した『インファナル・アフェア』シリーズや『コールド・ウォー』シリーズなど、ヒット映画にはいつも格好いい香港警察の姿があった。

その変貌の理由について、アンソニーの考えはこうだ。

「ある勢力が、ある力が、警察を変えたんだ。内地(中国)政権の公安が香港警察の内部に浸透したのだろう。証拠はない。しかし現象面からみれば、そうとしか思えない。最初は小さな変化だったかもしれないが、いまは大きな変化になり、離職してしまった人も多いだろう。昔、英国人がインド人警察を連れてきて中国人をいじめたのと似ている。中国による香港の植民地統治のようなものだ」

もしそうであるならば、香港警察の栄光を演じてきた役者として悲しくはないですか?

「私に言わせれば、以前の皇家警察は死んでしまったし、過去の香港映画も戻ってこない。警察も、映画も、違うものになったんだ」

雨傘運動で批判を浴びた時、何があったのか。アンソニーは振り返った。

「あれはまったくでたらめなことだった。まず中国でおかしなブラックリストが広がり、そこには私だけではなく、チョウ・ユンファ(周潤発)とかアンディ・ラウ(劉徳華)、トニー・レオン(粱朝偉)らの名前もあって、ほとんど全員が香港独立派だというひどいものだった。催涙弾を市民に撃つなんて受け入れられないと言っただけで、香港独立派というレッテルを貼られる。私はそのことに対して、ネットでそれはでたらめだと主張したんだ」

ところがネットは大炎上し、香港人は愛国的ではないからパスポートを取り上げろ、という意見すらあったという。「人民日報」の系列紙で、愛国的な論調で知られる「環球時報」も、アンソニーを批判した。

「香港人が愛国的ではないことを批判するなら、一国二制度をどうして決めたんだ、それを言い出した人こそが香港独立派じゃないかと主張したんだ。そして、それは鄧小平だろうと。私は毒舌なんだよ。言いたいことは言ってしまう。北野武に似ているかもしれないな」

香港映画界で友人を失ったのではないか?そう尋ねると「私は、もともと友人は少ないから、関係ないさ」と笑った。ただ、彼は間違いなく、香港映画の真ん中で活躍を長く続けてきた一流の俳優であった。アンディ・ラウのような華やかさはないが、渋い中年男性を演じさせたら天下一品だ。

アンソニー・ウォン氏(筆者撮影)
アンソニー・ウォン氏(筆者撮影)

いまだからこそ演じられた複雑な境遇の主人公

暗黙のブラックリストに入った名優の境遇はこの5年で大きく変わっている。いまアンソニー・ウォンには、中国のみならず、香港でも大手映画会社からのメジャー作品のオファーは届かない。

『淪落の人』はそうした大手の映画会社とは関係のないインディペンデント的な作品だった。アンソニー演じる主人公は、妻に離婚され、障害が残る重いけがを負い、独りぼっちになる。

NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED © 2018
NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED © 2018

私はあえて、失礼な質問をアンソニーにぶつけた。

「失礼でしたら謝りますが、あなたはこの作品で淪落の人を演じていますが、あなたこそ、香港映画界における淪落の人ではないのですか」

アンソニーはそれまでと変わらぬ口調で、こう回答した。

「失礼なことなんて、ない、ない、ない。結局は、自分で自分のことをどう見るかではないだろうか。映画の役どころと同じだよ。自分には大した力がないかもしれないが、他人を助けることぐらいはできる。なので淪落の人になるかあるいは(他人を助ける)力を持っている人になるかは、自分が選択できるんだよ」

確かに、この作品の主人公はいまの彼だからこそ演じられた役柄でもあった。アンソニー演じる主人公は一生懸命にメイドの女性の夢がかなうよう手助けする。この作品で、アンソニーは、2019年、3度目の香港アカデミー主演男優賞を獲得した。久しぶりにレッドカーペットを歩いて、トロフィーを手にし、アンソニー・ウォンという俳優がまだ終わっていないことを世の中に示したのである。

NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED © 2018
NO CEILING FILM PRODUCTION LIMITED © 2018

「確かに私は、淪落したと思われていたかもしれないが、この映画は成功し、監督も私も賞をもらった。イタリアで上映に招かれ、日本での公開も決まっている。こんなことが起きていて、私は本当に淪落の人なのだろうか?人生にはお金には代えられないものがあるんだよ」

その言葉は、2019年デモに揺れた香港社会そのものを励ます言葉のように聞こえた。

映画『淪落の人』は2020年2月1日から新宿武蔵野館などで順次公開。

取材協力:呉頴濤

バナー写真=アンソニー・ウォン氏(筆者撮影)

警察・治安 中国 デモ 映画 香港 俳優 雨傘運動