「口裂け女」から「きさらぎ駅」まで―都市伝説の変容から振り返る昭和・平成の日本社会

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板倉 君枝(ニッポンドットコム) 【Profile】

かつて“身近で本当に起きた話”として口伝えでまことしやかに語り継がれた不思議な話や怖い話は、いまやネット空間で増殖している。こうした「都市伝説」が生まれる背景や伝播の在り様から見える社会の変化を、民俗学者が解説する。 

飯倉 義之 IIKURA Yoshiyuki

1975年千葉県生まれ。国学院大学文学部准教授。専攻は口承文芸学、現代民俗論。国学院大学大学院修了後、国際日本文化研究センター機関研究員などを経て2015年4月より現職。著書に『怪人熊楠、妖怪を語る』(共著/ 2019年、三弥井書店)、『怪異を魅せる』(共著/ 2016年、青弓社)、『ニッポンの河童の正体』(2010年、新人物往来社)など。

見知らぬマスクをした女性が、通りがかりの子どもに尋ねる。「私、きれい?」。おびえた子どもが「はい」と答えると、「これでも?」とマスクを外す。その口は耳まで裂けていた―世代は違っても、ほとんどの日本人が「口裂け女」の話を聞いたことがあるだろう。近年では、海外でも日本発の怖い話として有名だ。

「『口裂け女』 は恐らく純国産『都市伝説』の第1号でしょう」と現代における口承文芸を研究する国学院大学文学部の飯倉義之准教授は言う。「口裂け女」をはじめ、そもそも都市伝説はどのように生まれて、変化してきたのだろうか。

「口裂け女」は不審者情報

飯倉氏によると、1978年の暮れごろ、岐阜の八百津町 (諸説あり)で農家のおばあさんが、庭の隅に口が耳まで裂けた女が立っているのを見たといううわさが広がり始めた。「79年初めに岐阜日日新聞が口裂け女のうわさを報じ、それが子どもたちの間で繰り返される間に話に尾ひれがついていきました。マスクをつけている、赤いコートを着ているとか…。さらに鎌を持っている、100メートル6秒で走る、ポマードが嫌い、べっこうあめをあげると見逃してくれるなど諸説ありました」

「口裂け女」のうわさは、半年ほどで岐阜から青森、鹿児島まで伝わったという。「その背景にあるのは、当時塾通いをする子どもが増えたことです。それまでは学区を越えてうわさが広がることはあまりなかった。塾には複数の学区から子どもたちが集まるので、『うちの学校でこんなことがあった』 と話すと、『それは怖い、こっちにも来るかもしれない』と自分の学校で話を広めるわけです。親戚などにも電話で伝わり、他の新聞やテレビでも報じるようになりました」

子どもたちにとって、口裂け女は恐怖の対象であり、不審者情報だった。「塾は夕方から始まるので、(塾が終わると)子どもは集団で夜の街に放り出され、それまで見たことのない種類の大人たちの姿を見ました。これから夜の仕事に出向く女性たちや、ひどい酔っぱらいもいる。この中に自分を傷つける人がいるかもしれないという不安が、口裂け女に投影されているのです」

「最初のうちは教師や親も心配して、パトロールや集団下校を実施したようです。79年の夏休みが始まるころには、うわさは沈静化しました。ただ、その強烈なキャラクターはみんなの記憶に残って、お化けの一つとして定着したのです」

岐阜市柳ケ瀬商店街に設けられた「口裂け女」をテーマにしたお化け屋敷「恐怖の細道」。2012年に夏期限定で初めて開催され、19年9月に終了した (時事)
岐阜市柳ケ瀬商店街に設けられた「口裂け女」をテーマにしたお化け屋敷「恐怖の細道」。2012年に夏期限定で初めて開催され、19年9月に終了した (時事)

第1次ブーム=メディアが若者の口コミに注目

口裂け女の話が広まった1970年代後半は日本の経済構造が変わり、都市的な文化生活を営むための均一なインフラ―テレビ、車、電話など―が全国に整った時期だった。

「都市伝説」という言葉を日本に紹介したのは、1988年日本で翻訳刊行された米民俗学者ジャン・ハロルド・ブルンヴァンの著書『消えるヒッチハイカー』(81年)だ。当時気鋭の日本人若手研究者たちが、昔話や伝説など古い形態ばかりを対象としていた口承文芸研究の世界に、現在の世間話、うわさの背景を探ることで現代の都市の在り様も探れるのだと一石を投ずる意図で翻訳したのだという。

ブルンヴァンは、「都市的な生活を背景として友人の友人ぐらいの人に起こったとされる新奇な話」を「都市伝説」と定義した。例えば、ヒッチハイカーが幽霊だったとか、ベッドの下に殺人鬼がいるといったような話だ。幽霊のヒッチハイカーは、元をたどれば1800年代の辻馬車時代にまでさかのぼるモチーフだが、車社会に移行する過程で変化を重ね、新聞などメディアの発達がその伝播を加速した。例えば、新聞のコラムで読んだりラジオで聞いたりしたネタが、あたかもわが町で起こったかのように伝えられていき、米国全土でその地方ごとの特徴を加えられた同様の話が広まったという。

「80年代後半の日本では、若者たちの間の口コミが注目されていました。アイスクリーム専門店のホブソンズや、サーティーワンに行列ができたり、ボストンバッグがはやったりとか、中高生が何かに急に殺到する現象が話題になりました。首都圏の中高生の間で、“あれがイケてる” という話が瞬く間に口コミで広がる。ファミレスやコンビニができて高校生、大学生がバイトをするようになってお金に余裕ができ、バブル経済に向かう中で中学生も含め子どもたちの購買力が上がったことが背景にあります。子どもたちの口コミを分析するマーケティングが本格化しました」

マーケティングが成功した代表的なものに、ロッテのビスケット菓子「コアラのマーチ」がある。「眉毛のあるコアラを見つけたらその日ラッキー」といううわさが、女子高生の間の口コミで広がった。それがきっかけで同社はコアラの絵柄を増やすなど工夫を重ね、2019年には発売35周年を迎えるロングセラーとなっている。

「その他当時流布したうわさに、佐川急便の配送トラックに描かれたキャラクターの飛脚の赤いふんどしに触ると幸せになれるとか、上野公園の不忍池のボートにカップルで乗ると、その2人は別れることになるとかがありました。雑誌などがこうしたうわさや口コミを投稿で集め、『都市伝説』という言葉を使って特集を組むようになったんです」。ライターたちがこうしたネタを拾い意図的に話を盛ってブームを作り上げていく。代表例が、人気雑誌『ポップティーン』で紹介された「人面犬」だ。人の言葉を話し、中年のおじさんのような顔をしているとか、100キロを超えるスピードで車を追跡するなどといわれた。

「こうした都市伝説は、平成の初め、90年代初頭が人気のピークで、95年にはいったん沈静化します。阪神淡路大震災、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起こり、お化けの話などしている場合ではないという空気になったからです。メディアは心霊ネタなど一切取り上げなくなりました」

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出版社、新聞社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。

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