巨星落つ——「生涯革命家」の史明さんをしのぶ

社会 歴史

平野 久美子 【Profile】

台湾の将来のため、その一生を捧げた活動家で、『台湾人四百年史』(注:台湾民衆の立場から歴史を俯瞰した台湾人による初の台湾史。日本語版は1994年刊)を著した歴史家の史明(本名は施朝暉)さんが、2019年9月20日に亡くなった。享年100歳。彼を取り巻く膨大な人々の連なりの、ほんの末席にいた日本人の1人として、尽きぬ感謝と鎮魂の気持ちでいっぱいだ。「巨星」と呼ぶべき大きな存在であった史明さんとの思い出を、読者のみなさんと共有してみたい。

史明さんの著書(筆者撮影)
史明さんの著書(筆者撮影)

冗舌で飾らないモダンな仙人

「生涯革命家」としても知られる史明さんに私が最初にお目にかかったのは2003年だった。名著『台湾人四百年史』を愛読していた私は、一度著者にお目にかかりたいと思い、知り合いのトオサン(注:日本統治時代に教育を受けた世代の総称)に頼んで、台湾・新荘市(注:現在の新北市新荘区)の事務所兼自宅を訪れた。ドアを開けると靴脱ぎ場まで街宣活動のビラが山積みとなり、奥の応接間につながる廊下にはすでに数人の来客が小さな椅子に座って面会の順番を待っていた。

私の隣の男性は、今朝、南米から台湾に到着したばかりだと言い、別の客人はロサンゼルス在住だと自己紹介した。史明さんの掲げる台湾独立と台湾民族主義を信奉して海外で運動を続け、講話を聴きに来る若者に対し、老革命家は常に温かく情熱的に迎え、食事を振る舞い、何時間も討論するのだという。

順番が来てメゾネットの応接間へ。史明さんは白髪と白ひげを蓄えた痩身(そうしん)にブルージーンとグレーのヨットパーカーを着て、「やっ」と笑顔で片手を上げた。なんだかモダンな仙人に見えた。『台湾人四百年史』の題字も書いた武者小路実篤の色紙やチェ・ゲバラの写真、「台湾民族主義」という文字が染め抜かれた宣伝旗などが雑然と置かれていたが、そのすべてが私にはもの珍しかった。

史明さんは肩まで届く白髪を振りながら、1952年の台湾脱出劇や亡命中に書いた著書について冗舌に語った。その青年のような理想主義と常に民衆の立場を代弁する草の根主義、活動に全てをささげる無私無欲な生き方に感激した。相手の心をわしづかみにする巧みな話術と飾らぬ人間性に魅了された。帰り際、「またいらっしゃい」と、柔らかな大きな手で固く握手をしてくれた。

以来、新荘市の事務所や東京池袋の「新珍味」(1960年代に彼が開業した中国料理店)、そして台湾の入院先でもお目にかかり、どれほどたくさんのことを教わっただろう。2008年に拙著『トオサンの桜』を献呈したときは、「あなたは民衆の立場からこれを書いた、そこが非常によろしい」と言って私の顔をじっと見た。

以下に記すのは、史明さんの言葉のかけらの数々だ。記憶の中からすくいとって反芻(すう)すると、彼の情熱が体内で化学変化を起こし、カンフル剤のように効いてくる。

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ノンフィクション作家。出版社勤務を経て文筆活動開始。アジアンティー愛好家。2000年、『淡淡有情』で小学館ノンフィクション大賞受賞。アジア各国から題材を選ぶと共に、台湾の日本統治時代についても関心が高い。著書に『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』(筑摩書房)、『トオサンの桜・散りゆく台湾の中の日本』(小学館)、『水の奇跡を呼んだ男』(産経新聞出版、農業農村工学会著作賞)、『牡丹社事件・マブイの行方』(集広舎)など。
website: http://www.hilanokumiko.jp/

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