カンペイ、花園、企業スポーツ:極東の島国で発展した独自のラグビー文化
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「僕は日本のラグビーが大好きなんだ」
そう言ったのは、昨季(2018-2019)のトップリーグで、神戸製鋼コベルコスティーラーズを15シーズンぶりとなる復活優勝に導いた名将、ウェイン・スミス総監督だった。
選手時代はニュージーランド代表(通称オールブラックス)にも選出されたウェイン・スミスは、ヘッドコーチとしてカンタベリー・クルセーダーズをスーパー12(現スーパーラグビー)の常勝軍団に育て上げ、3連覇に導いた。
2000年以降はヘッドコーチ、セレクター、アシスタントコーチとして、途切れることなくオールブラックスの指導に関わってきた、ラグビー王国の背骨と呼ぶべき人物である。
カンタベリーで育ち、オールブラックスの大黒柱としてワールドカップ2連覇を支えたリッチー・マコウやダン・カーターは、直系の教え子にあたる。
その人物が「日本のラグビーを深くリスペクトしている」と言い切るのだ。
「僕は、子どもだった1960年代から日本のラグビーが好きなんだよ。その頃、僕の育ったカンタベリーに、日本からデミ・サカタという選手がやって来て、素晴らしいプレーをみせていたんだ。彼は日本のやり方をカンタベリーに、ニュージーランドに持ち込んだんだ」
型破りで斬新な日本オリジナルのプレー
子ども時代のウェインを魅了したのは、1968年にニュージーランド遠征をした日本代表。そして翌年、カンタベリー大学に「留学」してきた「デミ・サカタ」こと坂田好弘が持ち込んだ、斬新なプレーの数々だった。
例えばラインアウト。
それまでは、ボールがタッチラインを出た場合、両チームのフォワードがズラリと(たいていは7人ずつ)並んだ真ん中にボールを投げ入れ、跳び上がって取り合うのが普通だった。しかし、身長の低い日本チームは外国チームに太刀打ちできない。
当時の日本代表を率いていた大西鐵之祐(てつのすけ)監督は、ルールブックには「双方の2人以上が並んだ真ん中にボールを投げ入れ」と書いてあることに着目。
ラインアウトに並ぶ選手を最小限の「2人」にしてスペースをつくり、投入するスロワーと呼吸を合わせて前後に動くことで相手のマークを外す「ショート・ラインアウト」を開発した。高さで勝負するのではなく、日本選手の俊敏さを生かしてボールを確保できる上に、次の攻撃にも人数を掛けられるのだ。
もう一つ有名なのは、「カンペイ」と呼ばれるバックスのサインプレー。
従来は相手キックに備える守備的存在だったフルバックを、バックスのライン攻撃に参加させ、相手のマークを外して突破するプレーだ。
大西が早稲田大学の監督時代に、「何でもよいからトライの取れる方法はないのか?」と学生を集めて問い掛けた際、フルバックの中村貞雄選手が考案。早大が夏合宿を張っていた長野県の菅平(すがだいら)で誕生したことから、「菅平」を音読みした「カンペイ」と呼ぶようになった。
ウェイン少年が心を躍らせた日本代表は、まさしくこの2つのオリジナルな武器を携えてニュージーランドを訪れ、数々のトライを挙げてラグビー王国の強豪から勝利を奪ったのだ。
「素晴らしいイノベーションだった。当時は見たこともない、型破りなプレーだったけど、日本チームの強みを生かしたプレーだったね」
他国に絶賛される「企業スポーツ」という枠組み
ラグビーの先進国ではない極東の島国には、独自のラグビー文化が育った。それは技術や戦術に関することだけではない。
今なお、海外からやってくる指導者たちが関心を寄せるのが、日本独自の「企業スポーツ」制度だ。
欧州や南半球のラグビー先進国では地域のクラブを拠点として競技が発展してきたのに対し、日本では学校や企業を母体とするチームが多い。地域のクラブシステムには、世代をまたいだ技術や知識の共有、継承という強みがあるのだが、ラグビー先進国からやってきたコーチの多くは、企業スポーツという形態を「素晴らしい」と絶賛する。
長い間アマチュア規定を堅持してきたラグビーが、プロ解禁に踏み切ったのは1995年のこと。以降、ラグビー先進国の多くで、選手のプロ化が進んでいる。しかし、サッカーや野球、テニス、ゴルフなどに比べてプロスポーツとしての歴史は浅く、興行として継続する条件も厳しい。
1チーム当たりの人数が多いので抱えなければならない選手も多く、人件費や遠征費がかさむ。試合時間も長く、激しい身体接触を伴うため、選手のコンディションやけがのリスクを考えると試合を増やせず、入場料収入を増やすのも難しい。
そういう問題を解決する方法として他国から羨望(せんぼう)の目で見られているのが、選手を社員として雇用する企業スポーツなのだ。
プレーヤーは若い間は競技に軸足を置き、就業時間を調整して練習に励みつつ、セカンドキャリアに備えて仕事も覚える。そして、引退後は社業にシフトしていく。
もちろんすべてがバラ色というわけではない。競技レベルが上がれば上がるほど両立は困難になり、近年は社員とはいえ事実上の競技専従者も増加している。二兎(にと)を追う分、どちらも中途半端になってしまうリスクが伴うのだ。
だが一方で、ラグビーで培った人脈やチームワーク、困難に挑んで結果を得た成功体験が、ビジネスの現場でも役に立つという話は多くの企業から聞かれる。
展開ラグビーを育む「花園」、大学生の美しき光景
企業スポーツとともに、日本独自のラグビーカルチャーといえるのが学校の「部活」だ。
東大阪市の花園ラグビー場で行われる全国大会を頂点とする高校ラグビーは(勝利至上主義や試合間隔の短さなど問題点も指摘されるが)、まさに日本スタイルといって過言ではない。
その特徴の一つは、選手の重大なけがを防ぐため、「スクラムは1.5メートルしか押せない」という独自ルールを設けていることだ。高校生未満の年代にも適用されているこのルールは、スクラムで世界と勝負できるフォワード選手がなかなか育たない要因だと指摘される一方で、世界が高く評価する日本の展開ラグビーを培う土壌となっている。
大学ラグビーも部活であり、長い間、社会人ラグビーをしのぐほどの人気を集めてきた。その中にも、日本独自の習慣が垣間見える。試合後には、両チームの選手がグラウンド中央で整列して向かい合い、「スリーチアーズ」でエールを交換。ノーサイドの笛が鳴った後、それぞれが自由に握手などをするのとは違い、整然と互いの健闘をたたえ合う。その姿は、日本のラグビーファンの間では定着している美しい光景だ。
だが、これは日本以外ではまず見られない。
海外の試合でよく見られるのは、試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、とにかく手近にいる相手チームの選手と握手をする光景だ。
たった今まで、殴り合い寸前のように激しくぶつかり合って戦っていた、いわば敵同士が、笛一つで魔法が解けたように打ち解けてしまう。全力で真剣に戦い合った者同士が互いをたたえ合う。
それは、戦いの場に立つために互いが費やした時間と努力への敬意の表れなのだ。
相手への敬意を、「ちゃんとして」表現しようとする日本スタイルと、「まっさきに」表現しようとする伝統国のスタイル。どちらが正解ということもないが、日本スタイルはこんなところでも見受けられる。
そんなこともちょっと頭に入れながら、ワールドカップでの各国の試合終了直後の姿に注目するのも楽しいと思う。
(バナー写真=日本だけの文化ではないが、円陣の組み方にも日本らしさが濃厚に漂う。2013年の日本対ニュージーランド戦 写真:大友信彦)