ガンダム生誕40周年:世代を超えて語り継がれる古典アニメとは
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『機動戦士ガンダム』の放送開始40周年に当たる今年は、さまざまな記念イベントが開催中だ。単に作品の生誕を祝うのみならず、日本の社会や生活に広く結びついているものが多く、過去のアニバーサリーとは一線を画している。中でも「G-SATELLITE 宇宙へ」というプロジェクトは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)と東京大学が連携して2020年の東京五輪・パラリンピックへの応援メッセージを宇宙から送るという点で、ガンダムの示した「宇宙時代のビジョン」を現実にフィードバックしたものとして注目を集めている。そこにはガンダムを糧に未来感覚を養い、成長して実績を上げてきた産学関係者の熱い視線と、40年という歳月の重みが感じられる。
これほど大きな影響力を持つ『機動戦士ガンダム』とは、どんな作品なのだろうか。ここでは第1作の原点に立ち戻ることで、本質を探っていきたい。
アニメファンの成長と成熟
日本の商業アニメーション(アニメ)は、長い年月をかけて作品のバリエーションが豊かになり、現在も進化を続けている。その発展の大きなきっかけの一つが『機動戦士ガンダム』である。
アニメは長らく「子ども向け」とされてきた。1963年、30分テレビシリーズの『鉄腕アトム』をきっかけに、アニメづくりが定常的に量産されるようになってもしばらくはそう思われてきた。その状況を激変させたのが、74年のテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』だった。放送された当時は低視聴率だったが、77年に公開された再編集映画が大ヒットし、視聴者層が成長してティーンエージャーとなったことがマスコミにも取り上げられた。見ごたえのある豊かな内容が、アニメ作品に求められる時代となったのである。
日本では漫画原作のアニメが多かったが、78年に月刊誌「アニメージュ」が創刊されたことで状況が変化する。専門性の高い記事が載るようになったことで、それまで「漫画家のアシスタントたちがアニメを制作している」かのように漠然と思われていたのに対して、「アニメ専門の会社があって映像クリエーターたちが共同で作業している」という事実がより正確に周知されるようになったからだ。その結果、アニメの世界には、漫画とは違った映像独自のクリエイションの作法や技法があることをアニメファンは知った。そしてオリジナリティーのある創作を志すスタッフが大勢いて、明確な考え方を持ってキャラクターやストーリー作りが行われていることが次第に明らかになっていった。こうした中で「もっとすごい作品はないか?」とファンの期待が高まった79年に、『機動戦士ガンダム』が登場した。それはまさにベストタイミングだった。
同作は漫画や小説など既出の原作を持たないオリジナル・アニメである。原作・総監督は富野由悠季、キャラクターデザインとアニメーションディレクターは安彦良和、メカニカルデザインは大河原邦男と、メインはアニメクリエイターで固められている(敬称略)。それゆえ「アニメ映像でしか得られない興奮、未知の物語への驚き」が生まれ、ファンは熱狂した。複雑に編み上げられた濃厚な世界観と物語は読解に骨の折れるものだったが、その難解さも含めてファンは楽しんだ。
この状況を後押ししたのは普及の拡大期にあった家庭用ビデオデッキだ。一度見ただけでは分かりにくい伏線や細部も検証できるようになり、友人に薦めることも可能となった。これは80年代中盤の「ビデオソフト販売時代」の先駆けである。その意味においても、『機動戦士ガンダム』は時代の節目にふさわしい、シンボリックなアニメ作品だった。
リアルな世界観に基づくロボットアニメ
前例のない濃厚な作品づくりの中核は、やはり富野由悠季監督だった。世界観と物語をゼロからつくりあげ、クリエイターの成果物をまとめて作品に仕上げていった様子は、2019年6月から開催中の美術館主導の展覧会「富野由悠季の世界」(福岡市美術館ほか)の圧倒的な物量からも伝わってくる。そもそも『機動戦士ガンダム』は主役ロボットの合金玩具を販売促進する目的の作品だった。そこには「玩具さえ売れればいい」という、物語としての自由度があった。富野監督はそのチャンスを「作家性を発揮する場」として捉え、最大限に利用したのだ。
最初は「これまでのロボットアニメをリアリズムで分解し、再定義する」というアプローチから始まった。一種の「再発明」である。発想の原点は「全長20メートルクラスの人型マシンが成立するのは、巨費を投入した兵器しかない」であった。それ以前のロボットアニメは、謎の敵対勢力(多くは宇宙人)が攻めてきて、科学者がひそかに準備していた合体ロボットで迎撃する……というスタイルが多かった。富野監督はそれに疑問符をつけたのだ。
戦争があるなら、敵もまた人間である。過去のロボットアニメとは違うことを示すため、巨大人型兵器を「モビルスーツ」と呼んだ。質量から考えて、運用は宇宙空間になるはずだ。現在の科学力の延長でそれが可能となるのは、地球と月の近傍に限られる。「宇宙対地球」という戦争の対立軸を考えたところから、米国のジェラルド・オニール博士によって提唱され、実現可能性の高い未来の構造物「スペースコロニー(宇宙植民地)」が舞台として採用された。
「ガンダムの世界観」は、こうした現実味あふれる「連想」に基づいて編み上げてある。だから視聴者は「信じるに足るリアリティーの強度」を映像から感じ取ったのだ。
殺伐とした戦いの中で描かれるかすかな希望
長寿の秘密は「ガンダムの歴史的感覚」にもある。「壮大な時間と空間の一部を切り取って見せている」という「叙事詩的視点」に加え、宇宙移民者時代の「宇宙世紀(Universal Century:UC)」を「新たな暦」として設定したことは画期的だった。その結果、作品終了後も「宇宙世紀年表」が作り続けられることになった。放送後にヒットした商材「ガンダム・プラモデル(通称ガンプラ)」と年表との相乗効果で、「作品に描かれていない世界」の拡大が始まった。合金玩具と違い、プラモデルは塗装や改造で「ユーザー・オリジナル」が生み出せる素材だ。さらに、漫画や小説でのオリジナルストーリーも発表され、「一年戦争」(地球連邦政府に対して独立を求めて宣戦布告をしたジオン公国(※1)の独立戦争)に集合知的な細部が補強されていった。
やはり「ガンダム世界」が大きく拡大できた理由は、オリジナル作品であるがゆえの自由度にある。原作がある場合はそこから大きく逸脱することは許されないが、描かれていない部分を自由に想像できる性質のお陰でファンが積極的に作品世界へ参加することも可能となった。その結果、観客として楽しむだけにとどまらず、ガンダムで描かれたことを糧に現実を変えていこうとする人が大勢現れることになった。冒頭のプロジェクトもその一例である。また、どんな設定を付け足しても揺るがない「物語の強さ」は、世代を超えた人気の決定的要因である。アムロ・レイという10代のナイーブな主人公の少年は、戦争がもたらす圧倒的な暴力と、大人社会の理不尽なふるまいの中で、さまざまな感情を抱え、時に爆発させる。同時に戦いの中で、かけがえのない「仲間」も見つけていく……。
この普遍的な少年の成長物語は、やがて「宇宙に進出した人類の進化」という「ニュータイプ(※2)論」へと展開していく。宇宙という無限に近い空間と可能性を手にした人類は、戦争の時代を脱し、互いに分かり合えるようになるかもしれない。そんなかすかな「希望」がストーリーの終盤で示される。どんなに時代が進もうとも人が変わらない以上、「分かり合えない」という「絶望」は常にあるはずだ。だが、ほんの少しでも認識の持ちようを変えるだけで、「希望」に近づけるかもしれない。そんな「願い」が、モビルスーツによる戦闘を中心に描かれる殺伐とした戦争に、ほのかな光を与えている。
未来の戦争に巻きこまれたティーンエージャーに寄り添って、親近感あふれる青春群像劇をドキュメンタリータッチで追い続けた『機動戦士ガンダム』。しかし、それだけにとどまらず、戦いを通じて「現実を変える力」を示し、人の可能性を照らし出した前向きな希望こそがガンダム最大の魅力である。その裏付けがあるからこそ、ガンプラ人気も持続した。この緊密な構造が、他に類例を見ないロングランの根幹を支えているのではないだろうか。
バナー写真=第2話「 ガンダム破壊命令」にてガンダムがビーム・ライフルでシャア専用ザクⅡを狙い撃つシーン ©創通・サンライズ