木村泰治――日台をつないだある実業家の軌跡

文化 歴史

片倉 佳史 【Profile】

台湾台北市北部に位置する林森北路一帯は、戦後、長らく台北を代表する歓楽街だった。それらの側面は過去のものになり、現在はホテルやレストランが集まり、旅行者の姿を多く見かける。このエリアの開発と東京にもつながる住宅地の造成秘話について紹介する。

桜並木にも歴史がある

現在、上北沢は桜並木の美しさで知られている。実は、木村泰治は台湾の大正町造成の際に、中心となる道路に桜を植えた。「日本人が日本人らしく暮らせる街」を目指して景観整備を意識したものだったが、ソメイヨシノは亜熱帯の台湾の気候に合わず、枯れてしまった。

台湾の地でかなわなかった理想を木村は上北沢で実現した。さらに後、木村は再びソメイヨシノを台湾に持ち込んでいる。大正町での失敗を踏まえ、海抜の高い台北近郊の草山(現・陽明山)に苗を植えた。これは定着し、現在、陽明山は台湾有数の桜の名所となっている。

最後に、木村のもう一つの顔についても触れておきたい。木村は愛犬家として知られ、台湾固有種である台湾クロイヌ(臺灣黒狗)についての論考を残しているほか、忠犬ハチ公の血統を解明したことや、銅像製作への出資など、深い関わりがある。

木村泰治は忠犬ハチ公の血統調査で知られる(福島岳温泉木村家提供)
木村泰治は忠犬ハチ公の血統調査で知られる(福島岳温泉木村家提供)

戦前の紳士録などを見ると、木村は「文人のような雰囲気の持ち主」という記述に出会う。都市開発の功績のみならず、犬をこよなく愛したという木村の人柄を知ると、より一層、興味がかき立てられる。

さらに、戦後は台湾からの引揚者が残してきた私有財産の補償を求める請願運動を起こし、様々な働きかけをした。そういった側面も含め、一人の「人物」から日台関係史を考察すると、台湾はより魅力的な表情を見せてくれる。

現在、上北沢と陽明山(旧・草山)では、美しい桜が花をつけ、シーズンを迎えれば、行楽客が大挙押し寄せる。木村は今、天国からどのような面持ちでその様子を眺めているのだろうか。

バナー写真=日本統治時代に「大正町」と呼ばれた住宅街。大正町通りは戦後、国民党主席を歴任した林森にちなんで「林森北路」と改称された(片倉真理撮影)

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台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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