若林正丈の「私の台湾研究人生」

私の台湾研究人生:2つの衝撃――林義雄「滅門」事件と葉石濤の語り

政治・外交

若林 正丈 【Profile】

「慟」一文字の表紙裏

私はこの旅行中に台湾の「党外」の主張を知るために、当時唯一発行されていた『八十年代』系列雑誌(つまり、康寧祥系。同誌が発禁になると『亜洲人』月刊、その次は『暖流』月刊になった)の購読手続をしていた。

帰国後しばらくして届いた『亜洲人』はこの事件の特集号だったが、雑誌の表紙をめくると表紙裏は一面黒字の中に「慟」の文字だけ白抜きで記されるという衝撃的な誌面となっていた。この旅で知り合いになった呉密察氏にも帰国後お礼の手紙や研究上の相談など何通か手紙を出したが、半年以上返事が無かった。「あの事件ですごく落ち込んでしまって、返事を書く気にどうしてもならなかった」とは後の述懐である。

 『亜洲人』月刊1980年3月号表と裏(筆者撮影)
『亜洲人』月刊1980年3月号表と裏(筆者撮影)

ところで、林氏宅は、私が泊めていただいていた近藤さん夫妻のマンションから南に一ブロック下がっただけのところにあった。台北に戻ってからある朝恐る恐るその前を通ってみた。通りはまるで何事も無かったかのようで、近所の小学校から子どもの歌声が響いてきただけだった。

それからさらに十数年後、消費者団体を基盤とする地方政党から出て相模原市議会議員をしていた家内が、その経験を話してもらいたいと、台北の消費者団体から筆者の台湾の友人経由で頼まれて、一場のささやかな講演をすることになったので私も付き添った。会場は「義光教会」、住所は台北市信義路三段31巷16號、まさにかつての林義雄氏宅を教会に改めた場所であった。

次ページ: 葉石濤先生の座談——「語られ始めた現代史の沃野」

この記事につけられたキーワード

台湾 研究 若林正丈

若林 正丈WAKABAYASHI Masahiro経歴・執筆一覧を見る

早稲田大学名誉教授、同台湾研究所学術顧問。1949年生まれ。1974年東京大学国際学修士、1985年同大学・社会学博士。1994年東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て2010年から2020年早稲田大学政治経済学術院教授・台湾研究所所長。1995年4月~96年3月台湾・中央研究院民族学研究所客員研究員、2006年4月~6月台湾・国立政治大学台湾史研究所客員教授。主な著書は『台湾の政治―中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)など。

このシリーズの他の記事