日本人は銃剣で子どもを殺していたのよ——「親日」と「反日」の狭間で

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李 琴峰 【Profile】

世代を超えて繰り返される「残虐な日本人エピソード」

今でもひりひりするような記憶がある。小学校1年生か、2年生の時のことだった。担任の先生がクラスでこのようなことを言ったのだ。

「日本人はとても残虐な民族だよ。台湾を植民統治していた頃は、台湾人をたくさん殺した。霧社事件という事件があって、日本人の圧政に反抗した台湾人はみんな殺されたんだ」

先生の表情は非常に痛切で、口調も切実なものだった。「日本人がよくやっていた遊びがあった。皆さんよりも小さい子ども、まだ歩けない赤ちゃんをたくさん捕まえて、宙に放り上げるんだ。そして赤ちゃんが落ちてくる時に銃剣で――つまり鋭い刀をつけた銃で、刺し殺すんだ。そうやって、誰が一番上手に、一番多くの赤ちゃんを殺すことができるのか、競い合って遊んでたのよ」

どのような文脈でそういう話になったのか今となってはもはや覚えていないが、話の内容だけがどっしりと記憶の底に鎮座している。そうして幼い私にとって、「残虐で怖い人たち」というのが、日本人に対する第一印象になった。

後になって考えれば、あの先生は田舎の保守的な教育システムの一端を担う一人に過ぎなかった。年齢的に日本統治時代を実際に経験したわけでもない。つまり彼女が語る「残虐な日本人エピソード」というのも、誰かから聞いた話に過ぎないのだ。

戦後、日本は台湾の統治権を失い、代わりに台湾にやってきたのが共産党との内戦に敗れた国民党政権だった。戒厳令を敷いた国民党政権の独裁政治の下、反共思想と愛国教育は教育システムを通じて島の隅々まで浸透した。自らの政権を正当化するために、日本による統治を「占拠」と位置付け、日本人を「敵」と見なした。当時の国語教科書には蒋介石が日本の軍部に留学時の教官に逆らったエピソードが収録されていて、文中では蒋介石を「愛国青年」とたたえた。あの先生は恐らくそうした反日教育の中で、「残虐な日本人エピソード」をたたき込まれたのではないだろうか。そして今度、彼女は自分の受けた教育内容を私たちに向かって再生産しようとしたのだ。

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李 琴峰LI Kotomi経歴・執筆一覧を見る

日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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