ラグビーワールドカップ2019日本大会、キックオフへ

日本ラグビーの伝説と東北の祈りが宿る釜石鵜住居復興スタジアム

スポーツ

大友 信彦 【Profile】

ワールドカップの会場の中で、唯一新設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム。ラグビーにまつわる歴史や物語を持つ東日本大震災の被災地・釜石に、ワールドカップがやって来る意味とは——。

日本ラグビーのレジェンドが夢を後押し

2012年6月、タウンミーティングに訪れて熱いエールを送ったのは、神戸製鋼の選手として新日鐵釜石と戦い続けた故・平尾誠二さんだった。後に日本代表主将、監督を務めた「ミスターラグビー」は、自らも神戸で阪神大震災を経験している。

「ワールドカップの開催は、経済効果が何千億円とか言われるけれど、僕に言わせたらそんなもんじゃない。これから7年間、地元の人が夢を持って、目標を持って時間を過ごせる。その価値の方がよっぽど大きい」

歯車が回り始めた。釜石で暮らす人たちの間でも「ワールドカップが来たらいいね」という声が大きくなった。
そして15年3月2日、ワールドカップ開催地に決まった時、全国紙が「釜石など12都市」と大見出しで伝えた。

地元の中高生は外国語の勉強に熱を入れ、小学生や幼稚園児が世界地図や国旗を学び始めた。
震災から1年が経過した12年からは、中学生が同じ時期に大地震を経験したニュージーランドへ毎年派遣されている。互いの被災体験と復興への思いを伝え合うと同時に、ワールドカップ優勝3回を誇る強豪国でラグビー体験を通じた交流も行ったという。
15年のワールドカップ視察にイングランドへ派遣された中高生たちは、日本代表が1大会3勝を挙げる快進撃を目の当たりにし、勝敗を超えて互いをたたえあう世界中のファンの姿に感動した。そして、4年後は自分たちが盛り上げると誓った。

子どもたちが世界に目を向け行動し始めた。復興へのエネルギーはワールドカップへの期待感と一体となり、いつしか平尾が言った「目標を持って時間を過ごす」ことが当たり前になっていた。

故・平尾誠二さんと新日鐵釜石を7連覇に導いた司令塔・松尾雄治さん。2人のレジェンドが意気投合して「ワールドカップ釜石開催」を後押しした ©大友信彦 Nobuhiko Otomo
故・平尾誠二さんと、新日鐵釜石を7連覇に導いた司令塔・松尾雄治さん。2人のレジェンドが意気投合して「ワールドカップ釜石開催」を後押しした 写真:大友信彦

18年8月19日。釜石鵜住居復興スタジアムの完成記念として、オープニングマッチが開催された。

前座で行われた中高生の試合では、震災を生き延び、大きな爪痕が残る釜石で育った子どもたちが元気にボールを追った。かつて全国の頂点を争い、共に大震災を経験した新日鐵釜石と神戸製鋼のOBたちも笑い声を上げながらボールを追った。
メインゲーム前のセレモニーには、震災当時は小学3年生だった高校2年生、洞口留伊さんが登場し、地元・釜石への思いと世界中から寄せられた支援への感謝を、日本語と英語の両方で読み上げた。それは、震災後の重い時間を乗り越えて、釜石の人たちが新しい時代へ歩き出す象徴だった。

そして、釜石シーウェイブスは2部相当のトップチャレンジリーグの所属ながら、トップリーグのヤマハ発動機ジュビロを相手に健闘。24-29で敗れたが、4トライを挙げるなど粘り強い戦いを見せ、富来旗が舞う新スタジアムの船出を盛り上げた。

2018年8月19日、釜石鵜住居スタジアムのこけらおとしで、釜石シーウェイブスとヤマハ発動機ジュビロがメモリアルマッチを行った(時事)
釜石鵜住居スタジアムのこけらおとしを盛り上げた、釜石シーウェイブスとヤマハ発動機ジュビロの一戦(時事)

釜石で戦われる2試合が新たな希望を生む

  • 9月25日 フィジー対ウルグアイ
  • 10月13日 ナミビア対カナダ

釜石で行われるのは開催12都市で最少タイの2試合。世界ラグビーの頂点を争う「ティア1」の10カ国が、どこも訪れないのは釜石だけだ。
だが、釜石からはそれをネガティブに捉える声は聞こえない。子どもたちはフィジーの国歌を、ウルグアイで使われるスペイン語を、ナミビアやカナダの歴史を学び始めている。

2019年日本大会で、最も多くの観客を集めた会場はどこになる? 間違いなく、それは釜石ではない。
最も興奮した試合として語り継がれるのは? おそらく、それも釜石での試合ではないだろう。
しかし、そこにやってきた4チームの選手たちに、特別な感情を持って滞在してもらい、喜んで帰ってもらうことは可能だろう。

「日本大会ではいろんな町で試合をしたけど、釜石が一番良かったな」
「ニュースを見てたら、オレたちも釜石で試合をやりたかったと思ったよ」

ワールドカップ終了後、日本を含む参加20カ国の選手や関係者が、そんな言葉をつぶやいてくれたら、釜石の勝ちである。

釜石鵜住居復興スタジアムが町に活力を与えている 『震災復興のシンボル!三陸鉄道リアス線が全線開通!』(ラグビーワールドカップ公式チャンネル Rugby World Cup Official)

(バナー写真=釜石鵜住居復興スタジアムのこけら落としには、かつて国立競技場に翻った富来旗と呼ばれる大漁旗が数え切れないほど並んだ 写真:大友信彦)

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大友 信彦ŌTOMO Nobuhiko経歴・執筆一覧を見る

スポーツライター。1962年、宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業。東京中日スポーツでラグビー記者として活動する傍ら、『Sports Graphic Number』『ラグビーマガジン』などに執筆。ラグビーに関する著作も多数で、主な著書に『釜石の夢』(講談社文庫)、『読むラグビー』『不動の魂』(実業之日本社)など。

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