ラグビーワールドカップ2019日本大会、キックオフへ

日本ラグビーの伝説と東北の祈りが宿る釜石鵜住居復興スタジアム

スポーツ

大友 信彦 【Profile】

ワールドカップの会場の中で、唯一新設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアム。ラグビーにまつわる歴史や物語を持つ東日本大震災の被災地・釜石に、ワールドカップがやって来る意味とは——。

ラグビーワールドカップ2019日本大会。史上初めて、ラグビーの伝統的強豪国以外で開催される大会で、最も注目されるのは間違いなくここ、釜石の会場だろう。
岩手県釜石市の人口は3万3414人(19年4月末現在)。ワールドカップ会場として新設された釜石鵜住居復興スタジアムは収容1万6000人。どちらも、日本大会開催12都市・スタジアムの中で最小だ。

11年3月11日に発生した東日本大震災。死者と行方不明者があわせて1万8500人に迫る大惨事で、釜石市も津波に襲われ973人の犠牲者を出した。
ワールドカップ会場のスタジアムは、津波の直撃を受けて全壊した鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地に建設された。鵜住居地区の犠牲者は586人。釜石市全体の6割に達する数字だ。

なぜ、そうした土地で、ワールドカップが開催されるのか。

1万6000人収容の釜石鵜住居スタジアム。国内で最も高い17mのゴールポストはW杯仕様だ ©大友信彦 Nobuhiko Otomo
1万6000人収容の釜石鵜住居スタジアム。国内で最も高い17mのゴールポストはW杯仕様だ 写真:大友信彦

7年連続日本一の古豪が復興のシンボルへ

釜石には、伝説のラグビーチームがあった。
1970年代末から80年代にかけて、ラグビー日本選手権で7年連続優勝を飾った新日鐵釜石。
決勝が行われる国立競技場には、毎年6万人の大観衆が詰め掛け、スタンドには港町・釜石のシンボル、富来旗(ふらいき)と呼ばれる大漁旗が翻った。新日鐵釜石は「北の鉄人」と呼ばれ、その活躍によって釜石の町も「鉄の町」「ラグビーの町」として全国的に知られるようになったのだ。

新日鐵釜石の連覇は85年を最後に途切れ、釜石の製鉄業が縮小の道を歩む中でラグビー部も弱体化する。「運動部を単独運営しない」という新日本製鐵本社の方針変換もあって、チームは2001年からクラブ化し、市民が支えるラグビークラブ・釜石シーウェイブスとして活動を続けていた。
そのクラブが被災した釜石のみならず、東北のシンボルになった。

震災の翌日から、釜石には全国からの支援物資が届き始めた。
大型トラックに大量に積まれた食料や水、衣類や防寒具……次々と届けられる物資は、地震と津波で生活を破壊され、ライフラインを失い、消耗しきった釜石市民の手に余るものであった。
そこで活躍したのが釜石シーウェイブスの選手たちだった。
大型トラックの荷台から、重い段ボール箱を2個、3個と一気に持ち上げ、集積所まで軽々と運んだ。停電でエレベーターの止まった病院や介護施設からは、病人や老人をおんぶや抱っこで軽々と運び出した。

12年6月、神戸製鋼ラグビー部が釜石へ遠征の際、シーウェイブス選手と一緒に汚泥除去や木材撤去のボランティア作業を行った ©大友信彦 Nobuhiko Otomo
12年6月、神戸製鋼ラグビー部が釜石へ遠征の際、シーウェイブス選手と一緒に汚泥除去や木材撤去のボランティア作業を行った 写真:大友信彦

外国人選手のもとには、福島第一原発事故の影響を心配した大使館から迎えの車が駆けつけたが、「いつも僕たちを助けてくれる人たちが困っているんだ。今は僕たちが助ける番だ」と言って拒否。釜石に残ってボランティア作業を続けた。

やがて、地元の人たちからは感謝の言葉とは違う言葉が掛けられるようになった。

「お前ら、もういいからラグビーの練習しろ!」

生きるか死ぬか、いや、生きたか死んだかという極限状況を乗り越えた釜石の人たちが、復興を目指す自分たちのシンボルとして釜石シーウェイブスの存続を願い、それを言葉にし始めたのだ。

震災から3カ月がたつ頃、「釜石で、ワールドカップ、できませんかね」という声が上がった。
釜石の町はまだ瓦礫(がれき)だらけ。だが、ワールドカップが開かれる8年先には復興しているはずだ。そのとき、世界からやってくる人たちに、元気な釜石の姿を見てもらい、世界中から寄せられた支援への感謝を発信しよう——。
そんなのムチャだろう。地元の生活再建が先だ……そんな意見も多かったが、「被災地にも夢が欲しい」という声が、地元からも聞かれたのだ。

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大友 信彦ŌTOMO Nobuhiko経歴・執筆一覧を見る

スポーツライター。1962年、宮城県気仙沼市生まれ。早稲田大学卒業。東京中日スポーツでラグビー記者として活動する傍ら、『Sports Graphic Number』『ラグビーマガジン』などに執筆。ラグビーに関する著作も多数で、主な著書に『釜石の夢』(講談社文庫)、『読むラグビー』『不動の魂』(実業之日本社)など。

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