不便益:現代社会の便利さを問い直す試み

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川上 浩司 【Profile】

人類社会は、ひたすら便利さを追い求めてきた。しかし、不便さにも何か効用があるのではないか。そうしたことを気付かせてくれる研究が進められている。

すでにあるものを不便益認定

2017年に『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとり入れてみてはどうですか?〜不便益という発想』(インプレス/ミシマ社)という長いタイトルの本を出した。なんとも長くて覚えられないが、つい気になってしまうのは、この本の編集を担当した「ミシマ社」の社長の思惑である。つまり長くて覚えにくいという不便さから、表層的な名前ではなく本質を頭に入れてほしいということなのだ。「あー、あの、不便益の本」と呼んでもらいたいのだ。

この本は、私の中では一般啓蒙(けいもう)書の位置づけだ。駅の書店でなんとなく手にとって通勤中の電車で読んだ人が、「おー、そうだよね。不便なことは大事というか、わが社には不可欠で、うちの会社のおじさんたちにも読ませたいなー」と思ってもらえることを狙っている。同書では、不便で益のあるモノゴトを新しく発想するための準備として、すでにあるものを私が「勝手に不便益認定」している。

例えば全国でデイサービス事業を展開する「夢のみずうみ村」は、「バリアアリー」をうたっている。「フリー」ではなく「アリー(有り)」というダジャレからも想像できるように、生活に便利なバリアフリーとは逆に、あえて施設内に軽微なバリアとなる階段などが設置されており、スタッフは「これ以上は手を差し伸べねば」というギリギリを見極めるスキルを磨いている。別の例として、「ふじようちえん」(東京都立川市)では園庭を凸凹にしている。平らな園庭よりも転んでけがをすることも多いだろうし、移動するのに時間がかかるから凸凹は不便である。しかし、凸凹がある方が園児は生き生きとするそうだ。多少の不便さはあっても自然の野原に近い方が楽しいということを考えれば、うなずける話である。

不便さのおかげで印象深い旅に

私が不便益について書いた最初の書籍は、2011年に上梓した『不便から生まれるデザイン:工学に活かす常識を超えた発想』(化学同人)だった。ユーザーに不便をかけることで益が得られるようなモノゴトをデザインする方法を体系化する試みを記したものであり、「どのような機序で不便から益が得られるか」をモデル化するという、肩肘張った内容の本である。一つの事例として、「私の出身地である島根県出雲市が、なかなかにアクセスが不便であること」を挙げた。不便だからこそ、出雲大社に参拝する意味があるというものだ。東京から夜行列車で一夜をかけて訪れるからこそ、期待が高まる。これが、「都心から鉄道で1時間ぐらい」の便利な立地では、縁結びの御利益(ごりやく)にあずかれそうにない。

似たような話はいくらでも挙げることができる。「トラベルとトラブルは語源が同じで、トラベル(旅)にはプチトラブル(不便)がつきものだ」という話がある。この話には、自分の実体験からも納得した。私は、スマートフォンを持ったことがない。出張の時でも同じだ。おかげで、初めての街に行くと大抵はプチトラブルに見舞われる。宿泊するホテルを目指して、その周辺の道を何度も往復して探し回ったこともある。でもその5分、10分のおかげで、通りの名前と風景を今でも思い出せる。嗅覚をきかせて一人飛び込んだ飲み屋は大抵は正解だが、たまに残念な場合がある。でも、逆にそれで記憶に残る。もし地図アプリや口コミサイトの情報を見ながら歩いていたら、私はただそれに従ってしまうだろう。逆にそれらがない不便さのおかげで、ただの「出張」が「旅」に様変わりするのだ。ところで、残念なことに「語源が同じ」というのは、根拠がないとのことである。

最後に、19年に出版された『京大変人講座』(三笠書店)をご存じだろうか。「京大では変人が褒め言葉です」をスローガンとして17年から始まった公開講座を、書籍にまとめたものである。不便益も、末席を汚している。本稿は、不便益を研究テーマにすることを許す日本文化があり、それを育む大学が京都にあるというお話でした。

バナー写真=豊橋技術科学大学の岡田美智男教授が開発したゴミ箱ロボット。不便なロボットだからこそ、人間とのコミュニケーションはどうあるべきかを改めて考えさせてくれる(撮影=川本 聖哉)

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京都大学情報学研究科特定教授。1964年島根県出雲市生まれ。専門はシステムデザイン論。87年同大工学部卒業、89年同大学院工学研究科修士課程修了。同大情報学研究科助教授を経て、2014年より同大デザイン学ユニット特定教授。18年より現職。博士(工学)。主な著書に『不便から生まれるデザイン:工学に活かす常識を超えた発想』(化学同人、2011)、『不便益のススメ』(岩波書店、2019)など。

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