若林正丈の「私の台湾研究人生」

私の台湾研究人生:「表も裏も知っている」抗日知識人・葉榮鐘さんの「述史の志」——三十数年後の後悔

国際 歴史

若林 正丈 【Profile】

人の親としての最後の務めを果たしながら

分かってきたことの第二点は、彼がその「述史の志」を実現していく過程が、葉榮鐘・施繊繊の夫妻が子女の「巣立ち」を見守るという人の親としての最後のつとめを果たす歳月に当たっていたことである。実はこの間夫妻は東京に嫁した長女の病死という不幸に見舞われていたが、日記には長男のアメリカでの博士学位獲得、初孫の誕生、次女の婚約と婚約者との訪米、次男の大学進学のことなどが淡々と綴られている。

これら2つのこと、葉榮鐘の「述史の志」、それを実現していく歳月が葉夫妻にとって人の親としての最後の務めを見事に果たす歳月であったこと、これらを知って、私はようやくあの時の夫妻の実際の姿にいささかなりとも近づけたのではないかと感じた。そして、これは私自身の勝手な言い分にはなるが、葉さんへの申し訳なさの幾分かは解消できたのではないかとも感じたのである。しかし、この時葉さんはとうにこの世の人では無かった。やはり後悔というのは先には立たないのである。

バナー写真=『葉榮鐘日記』(上、下)(筆者撮影)

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早稲田大学名誉教授、同台湾研究所学術顧問。1949年生まれ。1974年東京大学国際学修士、1985年同大学・社会学博士。1994年東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て2010年から2020年早稲田大学政治経済学術院教授・台湾研究所所長。1995年4月~96年3月台湾・中央研究院民族学研究所客員研究員、2006年4月~6月台湾・国立政治大学台湾史研究所客員教授。主な著書は『台湾の政治―中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)など。

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