若林正丈の「私の台湾研究人生」

私の台湾研究人生:「表も裏も知っている」抗日知識人・葉榮鐘さんの「述史の志」——三十数年後の後悔

国際 歴史

若林 正丈 【Profile】

「述史の志」

そんなわけで、私は葉さんが戦後の歳月をどう生きたのか、もっと広く言えば台湾抗日知識人のポスト・コロニアルの歳月とは如何なるものであったのかについてがぜん興味が湧き、葉さんの戦後の著作や、遺族が整理・公表してくれていた日記や書簡、林献堂ら関連する人物についての資料などを読みあさった。

そうして分かってきたのは、次の2点だった。第一は、葉さんが自分の生きてきた台湾の同時代史を書き綴っていこうという意志を持ち続け、そしてそれをついに前記の『台湾民族運動史』として実現したということである。彼は1930年代後半にはすでに自分が従事しまた目撃してきた台湾人の植民地統治批判の政治・社会運動の歴史を書こうという志を抱くにいたったが、その後の戦時体制がそれを許さず、戦後初期の二・二八事件などの動乱もそれを許さなかった。しかし、かれはその志を捨てなかった。

それを私は自分の論文では「述史の志」と呼んだ。長男への手紙の記述などを見ると、1965年戦後ながく勤務した彰化銀行の退職後には、彼自身の言葉をそのまま引用すると、「自伝」、「先賢印象記」、「台湾政治運動史」、そして「国家統治下二十五年史」の4つの歴史叙述を志していたらしい。「自伝」や「先賢印象記」は、幾本かの歴史エッセイとして諸雑誌に発表され後に彼の随筆集に収められ、また「台湾政治運動史」は『台湾民族運動史』として刊行された。

「国家統治下二十五年史」は実現しなかった。当時はまだ日本植民地統治期に触れる際にも国民党版の中華ナショナリズムに沿った記述が求められる時代であった。70年代に入り「党外」と称されるオポジションの活動が次第に活発化する中でこうした状況への挑戦が開始され、『台湾民族運動史』もその一端を担う形となったといえるが、それでもこの書物では、国民党の反共国策に合わせたのか、1920年代の抗日運動左派に関してはほとんど触れられていない。こうした状況では、直接的に国民党の統治に語り及ぶ「国家統治下二十五年史」を書くことは政治的障碍が大きかったといえるだろう。ただ、葉榮鐘日記には、その志の背後の心情を窺わせる新体詩と漢詩がそれぞれ一首ずつ残されている。

●1970年10月25日(新体詩)
但願這是一場惡夢 一覺醒來月白風清 無恥與殘虐隨風消失
歧視與壓迫化於無形 憤怒不再動我的心火 醜惡不再污我的眼睛

●1971年10月25日(七言絶句)
年年此日最傷神 追悔空教白髮新 送虎迎狼緣底事 可堪再度作愚民

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若林 正丈WAKABAYASHI Masahiro経歴・執筆一覧を見る

早稲田大学名誉教授、同台湾研究所学術顧問。1949年生まれ。1974年東京大学国際学修士、1985年同大学・社会学博士。1994年東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て2010年から2020年早稲田大学政治経済学術院教授・台湾研究所所長。1995年4月~96年3月台湾・中央研究院民族学研究所客員研究員、2006年4月~6月台湾・国立政治大学台湾史研究所客員教授。主な著書は『台湾の政治―中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)など。

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