東芝が生んだ万能炊飯器「大同電鍋」、台湾で生まれ変わって日本へ再上陸

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一青 妙 【Profile】

大同電鍋は今も大同公司の「顔」

大同公司は1918年に設立された建設会社だ。42年に「大同工業専科学校(現・大同高校)」を立ち上げ、49年には、台湾ブランドとして最初の扇風機を開発した。その後、東芝の技術サポートを受け、60年に大同電鍋が誕生した。これをきっかけに、大同公司は、日本の東芝同様、冷蔵庫、テレビなどを製造し、台湾の家電業界のトップに位置する大企業となった。

70年代に入ると、台湾政府の要請で、国家プロジェクトの「十大建設」にも携わり、桃園空港の変電所などを手がけ、まさに台湾という国の成長と共に、大同公司も発展した。現在はソーラーパネル、液晶ディスプレイなども手がけるほど、事業は多角化している。創業100年の2018年の統計では、大同電鍋は50万個も販売された。バージョンアップしたモデルも出ているが、今も昔も大同電鍋は大同公司の「顔」であることに変わりはない。

まるで「アラジンの魔法のランプ」のような存在

物心がつくかつかないかの幼少時から、わが家には大同電鍋があった。私は生まれて間もなく、台湾人の父の仕事の関係から台湾で暮らし始めた。日本人の母はいつもキッチンに立ち、家族のために料理を作っていた。

キッチンには、いつも楽しそうな音とおいしい匂いが充満していた。ゴーゴーと高速スピードのごう音を立てるフードミキサー。中華鍋を豪快に振り上げながらカンカンとお玉と鍋底が触れ合う金属音。トントントンとリズミカルな包丁さばきから切り出される数々の食材。母の手にかかれば、父の好む日本食と、私が好きな台湾料理が次々と誕生し、円卓へと運ばれる。

キッチンには、所狭しとさまざまな調理器具が並べられていたが、もっともフル回転していたのが、大同電鍋だった

大同電鍋の本体は緑色。隙間から漏れ出る蒸気の振動で、銀色の鍋ぶたは小刻みにカタカタと揺れる。湯気の匂いから、中の料理を当てることができた。

例えば「瓜仔肉」。ひき肉とキュウリの漬物を混ぜ合わせ、真ん中に塩卵の黄身を乗せて蒸したものだが、五香粉の香りがたまらない。中国語でご飯が進むという意味の「下飯料理」として、老若男女誰もが大好きな家庭料理だ。大同電鍋の中から、他にも熱々の茶碗蒸しや鳥スープ、おやつの蒸しカステラ、肉まんなどが次々と私たちの食卓に運ばれた。

大同電鍋を使った煮魚料理(筆者撮影)
大同電鍋を使った煮魚料理(筆者撮影)

スイッチひとつで何でも作り出せる大同電鍋はまるで「アラジンの魔法のランプ」のような存在に見えた。私が11歳になり、日本への移住が決まった際、母が真っ先に引越しの荷物に入れたのも大同電鍋だった。

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一青 妙HITOTO Tae経歴・執筆一覧を見る

女優・歯科医・作家。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれる。幼少期を台湾で過ごし11歳から日本で生活。家族や台湾をテーマにエッセイを多数執筆し、著書に『ママ、ごはんまだ?』『私の箱子』『私の台南』『環島〜ぐるっと台湾一周の旅』などがある。台南市親善大使、石川県中能登町観光大使。『ママ、ごはんまだ?』を原作にした同名の日台合作映画が上映され、2019年3月、『私の箱子』を原作にした舞台が台湾で上演、本人も出演した。ブログ「妙的日記」やX(旧ツイッター)からも発信中。

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