東芝が生んだ万能炊飯器「大同電鍋」、台湾で生まれ変わって日本へ再上陸

暮らし 経済・ビジネス

一青 妙 【Profile】

「原点」は東芝製の炊飯器にあり

先日、東京・上野にある国立科学博物館を訪れた。科学博物館では特別展「日本を変えた千の技術博」を開催していた。私は理系のせいか、ものづくりの技術に関する話が好きで、普段から興味深い展示があると科学博物館に足を運ぶことが多い。

今回、私のお目当ては大同電鍋の「原点」を見ることだった。

2018年は明治維新からちょうど150年にあたる。19年の5月には、平成から新元号の「令和」に切り替わる。そんな時代の節目で、特別展においては、明治から大正、昭和、平成に及んだ150年の年月の中で、日本人の暮らしを変革した科学技術や発明を包括的に紹介する狙いがあった。

大同電鍋の「原点」は、電化製品の展示場所にあった。他の家電に比べサイズが小さく、思わず見落としてしまいそうになった。白い本体には、アルファベットの「Toshiba」のロゴが刻印されている。展示の説明には「1955年販売開始『自動式電気釜ER-4東京芝浦電気/製』」と表記されていた。

国立科学博物館で開催された特別展「日本を変えた千の技術博」(筆者撮影)
国立科学博物館で開催された特別展「日本を変えた千の技術博」(筆者撮影)

詳しい解説を読むと、光伸社という会社の三並義忠氏という人物が、東京芝浦電気(現東芝)から開発協力を求められ、完成した、と書かれていた。展示品は台湾の大同電鍋ではないが、外見は大同電鍋にそっくりだ。

日本で初めて家庭電化製品が登場したのは明治時代。まず熱を発するヒーターや調理器、アイロンが開発され、次いで、モーターを使う扇風機やポンプが製造された。家庭まで電気が届いたのはこの後。大正時代に入り、人々は生活に合理化を求め、「生活改善」と呼ばれる社会的なムーブメントが起きた。「職業婦人」という言葉が生まれ、女性の家事負担の軽減が求められ、トースターや電気ごて、電気アイロンなども続々と登場した。

そして、大正末期から昭和初期にかけ、女性が家事に割く時間の短縮に大きく役立った電気掃除機や電気洗濯機が次々に発売されていった。

日本人にとっての主食はお米だ。お米の炊飯は、もともと調理人が経験に基づき、気温や湿度の違いも考慮し、かまどのまきの火を調整しながら行う面倒なものだった。掃除、洗濯の時短が実現できても、炊飯の自動化はなかなか実現できずにいた。たとえ米が炊けても、自動で電源を切れるようにするのはさらに技術的に難しく、自動炊飯器の開発は他の電化製品より遅れた。

前述の三並氏は、家族と共に実験を繰り返し、3年の年月を費やして1955年に完成させたのが、展示されていた自動式電気釜ER-4だった。三並氏は1908年に愛媛県新居浜市で生まれ、若い頃に上京して芝浦工大で学び、技術者となる。ドイツ系の機械商社アンドリュウス社に入社後、34年に光伸社を設立し、一時は倒産寸前になったが、自動式電気釜ER-4の発明で事業は息を吹き返した。その功績で日本政府から科学技術賞に選ばれ、その人生がNHKの人気番組「プロジェクトX」にも取り上げられたことがある。

自動式電気釜ER-4の使い方は簡単だった。まず米と水を内釜に入れる。続いて内釜と外釜の間の層に水を入れる。スイッチを入れると水が沸騰し、その熱で内釜のご飯が炊飯され、水は蒸発する。高温で形が変化するバイメタルスイッチでスイッチは自動的に切れ、最後に蒸されて、ふっくらとした美味しいご飯が炊きあがるという仕組みだ。

シンプルな3重構造となっており、いかなる温度と湿度でも、規定量のお米と水を入れ、スイッチを押せば、誰でも自動的においしいごはんを炊くことができる、当時の庶民には夢のような炊飯器の誕生だった。

不可能を可能にした自動式電気釜ER-4は、当時は高価だったにもかかわらず、数年で日本の全家庭の約半数にまで普及した。その結果、かまどのすすや煙がなくなり、住宅事情も大きく改善したと言われている。

自動式電気釜ER-4に続けと、東芝以外の家電メーカー各社も追随し、タイマーを付けたり、保温機能を付けたりと、より利便性を高めた製品が考案されてきた。現在も、各社が圧力やIH、遠赤外線などを用いた独自の技術を開発し、よりおいしくご飯が炊き上がるよう、炊飯器は進化を続けている。実際、家電量販店に入り、炊飯器のコーナーを見れば、数千円のものから10万円を超える超高級炊飯器まで多種多様に揃っていることに驚かされる。

自動式電気釜ER-4は日本で原型をとどめないほど変化を遂げたが、当時の姿のままで消費者に愛されているのが台湾の大同電鍋なのである。

自動式電気釜ER-4(筆者撮影)
自動式電気釜ER-4(筆者撮影)

次ページ: 大同電鍋は今も大同公司の「顔」

この記事につけられたキーワード

東芝 台湾 炊飯器 大同電鍋

一青 妙HITOTO Tae経歴・執筆一覧を見る

女優・歯科医・作家。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれる。幼少期を台湾で過ごし11歳から日本で生活。家族や台湾をテーマにエッセイを多数執筆し、著書に『ママ、ごはんまだ?』『私の箱子』『私の台南』『環島〜ぐるっと台湾一周の旅』などがある。台南市親善大使、石川県中能登町観光大使。『ママ、ごはんまだ?』を原作にした同名の日台合作映画が上映され、2019年3月、『私の箱子』を原作にした舞台が台湾で上演、本人も出演した。ブログ「妙的日記」やX(旧ツイッター)からも発信中。

このシリーズの他の記事