狛犬——台湾と日本をつなぐ身近なアート彫刻

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台湾の狛犬の故郷のひとつは山口県

狛犬の起源については諸説あるが、山口県で狛犬を愛好する会「山口狛犬楽会」を主宰する藤井克浩氏によれば、そのひとつは古代オリエント文明において神の守護神として作られたライオン像に端を発するという。エジプトのスフィンクスが東のインドへと渡り、仏教と共にアジア諸国へ伝わった。中国で獅子、シンガポールでマーライオン、沖縄でシーサー、日本へは飛鳥時代ごろ渡ってきた。

山口狛犬楽会の藤井克浩氏(筆者撮影)
山口狛犬楽会の藤井克浩氏と深浦八幡宮の狛犬(筆者撮影)

中国大陸の寺廟を守る獅子像は左右対称だが、日本の狛犬の多くは左右非対称だ。右側は大きく口を開いた「阿(あ)」像、左側が口を閉じた「吽(うん)」像となっている。実は、右は獅子、左は狛犬なのだが、いつの頃から、左右合わせて「狛犬」と呼ばれるようになったらしい。中国から伝来した時には対の獅子だったものが、なぜ、日本では狛犬と獅子の組み合わせになったのか定かではないようだが、藤井氏は左右非対称を好ましく思う日本人の美意識によって、独自の深化を遂げたのではないかと推察している。鎌倉時代に入ると狛犬文化は全国へと広がり、「大阪型」「出雲型」「尾道型」などそれぞれの地域色がにじむようになる。

各地のスタイルは、本州の西の端にあり海を介した物流の拠点でもあった現在の山口県に、日本海から「出雲型」、瀬戸内海から「尾道型」、陸ルートから「大阪型」が流れこみ、独自の「山口狛犬」を発展させた。瀬戸内側の周南市(旧・徳山市)を中心に山口狛犬が発達した大きな理由のひとつには、周南市沖合にある黒髪島が高品質な花崗岩「徳山石」の産地のため、技術のある石工が集ったことがあげられる。

「台湾の狛犬の故郷のひとつは山口県」という仮説の発端となった狛犬が山口市にある。今八幡宮に置かれている1933(昭和8)年作のものだ。平たく横長の顔、極端に強調された装飾的なたてがみ。戦前は台南神社で現・台南忠烈祠の山門前にある狛犬と瓜二つだ。台湾の獅子像研究者がまとめた『臺灣石獅圖錄』によれば、台南のこの狛犬の特徴のひとつに「阿形狛犬口中含珠,雄性性徴非常寫實。」(阿像は口に玉を含み、雄の特徴が表されている)とあるので、これも今八幡宮のものと全く同じである。

今八幡宮の狛犬(筆者撮影)
今八幡宮の狛犬(筆者撮影)

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