エディー・ジョーンズが変えた日本のラグビーとビジネスカルチャー
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もう4年前のことなのか。
ラグビーワールドカップ(W杯)で日本がラグビー界の巨人、南アフリカを破ったのは。
1987年に始まったワールドカップにおいて、日本は2011年の大会まで、わずか1勝しか挙げたことがない弱小国だった。
唯一の勝ち星は、1991年のイングランド大会、相手はジンバブエである。
それが2015年のイングランド大会では、南アフリカに勝ち、スコットランドには完敗を喫したものの、サモア、アメリカに勝って3勝を挙げた。
ワールドカップ史上、3勝を挙げても準々決勝に進むことができなかったのは初めてのことではあったが、最終戦のアメリカに勝って帰国するという「ハッピー・エンディング」となった。
大会前、選手たちの出発を撮影するカメラクルーは数えるほどだったが、羽田空港に凱旋帰国した選手たちは、おびただしい数のフラッシュに晒(さら)された。
日本のラグビーの歴史が変わったのである。
エディー・ジョーンズという魔術師
それから4年。
日本で開催されるラグビーW杯2019日本大会の開幕が、いよいよ迫ってきた。
4年前に、何がジャパン(ラグビー日本代表)に起きたのか。
その答えを探っていくと、当時のヘッドコーチにたどり着く。
エディー・ジョーンズだ。
私は2015年に『エディー・ジョーンズとの対話』という本を上梓し、「エディーさん」(日本のラグビーライターたちは、彼のことをそう呼んだ)の発想を間近に聞く機会を与えられ、インスパイアを受けた。
現在、エディーさんはイングランド代表のヘッドコーチを務めるが、日本ではいまだにその足跡を見つけることができる。しかもそれは、ラグビー界だけでなく、ビジネスやカルチャーの面にまで及んでいる。
エディーさんは、言葉の魔術師だった。
キャッチコピーを作らせれば天下一品で、日本では馴染みの薄かった次のような言葉を次々に浸透させた。
ヘッドスタート:代表選手は合宿中、朝5時からのウェイトトレーニングを課され、ジャージのサイズが変わるほどの肉体改造を現実のものとした
ハードワーク:試合中はもちろん、練習中もハードワークができない選手には容赦ない言葉が浴びせられた
レジリエンス:エディーさんは選手たちを肉体的、精神的に徹底的に追い込み、そこからの反発力が大きくなることを期待した
自分が飽きるほど言い続ける
日本代表が結果を残すと、こうした言葉が高校や大学のチームへと広がっていった。しかし、すべてのチームが結果に結びついたわけではない。浸透度に差があるからだ。
では、なぜ日本代表は成功できたのだろうか。
エディーさんは日本代表において、しつこく徹底的に、決めた言葉を使い続けた。
取材の場で、エディーさんがこう話したことがある。
「新しいシーズンがスタートすると、どのチームもスローガンやキャッチフレーズを作りますよね。作るのは簡単ですよ。難しいのは、それを浸透させることなのです。浸透させるコツは、難しい言葉は使わずにシンプルなものを選ぶこと。ラグビーはコミュニケーションのスポーツですから選手たちが口に出しやすく、共有しやすいものでなければなりません。そしてなにより、指導者が根気強く言い続けることが肝心です。自分が飽きるほどに」
「スマホをいじるか、ラグビーをするか」
2018年6月、私はエディーさんが沖縄の高校生を指導する現場を見学し、そこで言葉が「浸透」していく様子を目撃した。
練習が始まる前、エディーさんは高校生たちに言った。
「ラグビーはコミュニケーションのスポーツです。とにかくトークして、トークして、仲間とのコミュニケーションを取ってください」
15分後。
練習を観察していたエディーさんが高校生たちを集める。
「まったく、トークしてないじゃないですか! こんなことなら、ロッカールームに戻って、スマートフォンをいじりながら、ゲームをやっていた方がみなさん楽しいんじゃないですか? スマホをいじるか、ここでコミュニケーションを取ってラグビーをするのか、いますぐここで決めてください」
グラウンドから立ち去る高校生はいなかった。
「みなさん、自分で残ることに決めたんですね。じゃあ、練習を再開しましょう」
再び始まった練習は声が飛び交い、活気あるものに変貌していた。
そして練習が終わるまで、その声が途切れることはなかった。
豊富な語彙で選手たちに問いかけ、語りかけることを可能にしているのは、エディーさんの読書量だと私は思っている。
『エディー・ジョーンズとの対話』を書く際、エディーさんに幾多の「参考図書」を教わった。なかでも、エディーさんが熱く語ったのが、『ニューヨーカー』を中心に執筆するマルコム・グラッドウェルの著作だ。
「グラッドウェルの『逆転!』という本に、私はインスパイアされました。これは古今東西、弱者がいかにして番狂わせを起こしたか分析した本です。要は、アイデアの転換が大切です。日本がどうやったら南アフリカに勝てるのか? それを真剣に検討できたのは、この本を読んだ影響があったからです」
ビジネス界へと広がったインパクト
さらに興味深いことに、エディーさんの発想はラグビー界にとどまらず、ビジネス界でも広く受け入れられた。
エディーさんの手法が、リーダーたちがビジネスユニットを動かす際に用いる方法論に極めて近かったからである。
エディーさんは、チームのマネジメントにビジネスの手法を効果的に活用していた。例えば練習計画はコーチが立案し、エディーさんにプレゼンテーションし、許可を得てから実施するという流れになる。
練習の目的、具体案がしっかり検討されていないと、コーチたちも「残業」せざるを得ない。
選手だけでなく、スタッフにも緊張感を伴うハードワークが求められた。
こうしたエディーさんの手法にインスパイアされたのは、日本企業の管理職たちだ。
チームが共有する言葉を作り、浸透させる。
彼らはヘッドスタート、ハードワーク、レジリエンスといった言葉を各企業の風土に合わせてアレンジし、社員たちへの定着を図った。
面白いのは、エディーさんの発想を積極的に取り入れた管理職に、1980年代に大学でラグビーをプレーしていた人が多かったことだ。
実際にエディーさんを経営に参画させようとする企業も現れた。
ワールドカップ後にはゴールドマン・サックス日本のアドバイザリー・ボードに加わったし、百貨店の三越・伊勢丹や、富士ゼロックスの広告にも登用された。
ある出版社では、朝8時頃からの「ヘッドスタート」が奨励され、ダラダラ続きがちだった会議を朝の早い時間帯に開くことになった。
代わりにその日は早めに退社して、自分の時間を持つことが重視された。
その結果、「ハードワークとは長時間労働ではなく、集中して作業効率をアップさせることにある」という概念が、社員の間で共有されるようになった。
そしてまた、『エディー・ジョーンズとの対話』がもっとも売れたのは、ビジネス街である東京・丸の内の大型書店だった。
追い込むことで力を発揮させる
エディーさんは、日本人の特質をマネジメントに生かしたと振り返る。
「日本人は勤勉で、我慢強いのです。追い込むことによってポテンシャルを引き出すことが可能になりました。そして最終的には個人が自信を持ち、判断できるようになったからこそ、ワールドカップで結果を残せたのです」
エディーさんが日本を去ってもなお、彼が作り出した言葉は日本のビジネス界で生き続けているのである。
そしてラグビー界でも、エディーさんの薫陶を受けた選手が大勢いる。
2018年11月、イングランド代表と戦った日本は前半をリードして終えるなど、大健闘を見せた。エディーさんはその試合をこう振り返った。
「日本は本当の意味で真の強豪国の仲間入りをしました。ラグビーの聖地と言われるトゥイッケナム・スタジアムでイングランドとテストマッチが組めるようになったのですから。私が指導していた時よりも強くなっていますよ」
日本で開催される2019年のW杯で、ジャパンがどんな戦いを見せるか。そこにもまた、エディーさんの影響を見ることができるだろう。
(バナー写真:試合前のジャパンの練習を見守るエディー・ジョーンズ 時事)