武士道精神を継承するフランス柔道

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溝口 紀子 【Profile】

フランスで柔道は子どもたちの人気競技で、彼らに対する道徳的指導を重視している。そこには日本で失われつつある柔道本来の姿があると、同国でコーチ経験がある筆者は考える。

武道団体を統括した大日本武徳会

日本では戦前、柔道界に講道館と大日本武徳会(武徳会)の二大組織が存在した。私は講道館から段位をもらうことに何の疑いを持っていなかったが、フランスでのコーチ時代、フランスでは講道館ではなく武徳会で段位を取った人がいたという史実を知った。しかし現在、日本の柔道界では武徳会について語られることはほとんどない。

かつて武徳会は、皇族が総裁を、各府県の知事が支部長を務める一大組織だった。同会は1895年、初代総裁に小松宮彰仁(こまつのみやあきひと)親王、会長に渡辺千冬(ちふゆ)(※5)を迎え、軍人、内務官僚のほか武術の大家を役員に据え、日本武術の振興、教育、顕彰を目的とする財団法人として設立された。現在でいう武道団体を統括する組織である。約10年後には、会員が111万2414人(1906年)と100万人を超える国家的な団体に成長し、その勢力は国内にとどまらず、欧州にも武徳会の支所が存在した。

当時、講道館柔道をはじめ、いくつもの柔術の流派が存在していた。1906年、武徳会会長の大浦兼武子爵から嘉納に対して、流派にこだわらないで行える「形」を作ってほしいという要望があった。これを受けて嘉納が委員長となり、武徳会本部に柔術10流派の師範20名による「大日本武徳会柔術形制定委員会」が結成された。そして1週間をかけて、「大日本武徳会柔術形」が制定された。嘉納がまとめ役となって種々の流派を統合した「形」が初めて生まれたのである。この時に定められた「投業の形」は、現在、講道館の「投の形」として継承されている。

日本国内に活動の場を失った柔道家たちが渡仏

戦後、連合国軍総司令部(GHQ) の占領下、武徳会が解散させられ、高専柔道(※6)などの学校柔道が禁止になる中で、柔道を復活させるにあたっては講道館が中心的な役割を担った。

武徳会解散の影響は日本だけでなく、世界中に及んだ。特にフランスでは、古流柔術の各派や武徳会を支持する団体、講道館を母体とする組織などが乱立していた。とりわけ武徳会の影響を受けた有段者会(College des Ceintures Noires de France)は意気阻喪してしまったが、組織の再構築のために高い志と技術、卓越した指導力を備えたカリスマ性のある日本人指導者を求めた。

一方、日本国内では、武徳会が解散したことで活動の場を失った柔術家が多数おり、彼らの多くは海外に活路を見いだそうとした。例えば同会の武道専門学校(武専)出身の道上伯(みちがみ・はく)は、その代表的な存在だろう。また武専出身ではないが、明治神宮競技大会柔道競技(中等学校団体戦)で連覇を果たした粟津正蔵もその頃に海を渡った一人だった。彼らは、前述した川石酒造之助の招聘(しょうへい)を受けて渡仏したのである。

道上はフランス政府公認の道場で指導を行う傍ら、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ諸国でも柔道の普及に努め、1964年の東京五輪無差別級金メダリストのアントン・ヘーシング(オランダ)の指導にも当たっている。粟津はフランスナショナルチームを世界レベルにまで引き上げるなどの貢献が認められてレジオン・ドヌール勲章を授与され、「フランス柔道育ての親」と呼ばれた。

真価が問われる2020年東京五輪・パラリンピック

柔道が国際化する中で、国内外に「正しくないJUDO」が普及していると指摘する声がある。「正しくないJUDO」とは、1964年に五輪種目に採用されたことで試合結果に重きを置くようになった柔道のことで、勝利至上主義に陥ってしまった柔道を批判する際に使われることが多い。「正しい柔道」とは嘉納の理想を体現した柔道のことを指す。彼は試合そのものには最大の価値を見いだしていなかった。嘉納が掲げた講道館柔道の理念は、「精力善用」「自他共栄」である。「精力」とは心身のことで、「善用」とは良い目的のために使うことだ。つまり、柔道で鍛えた心身を良い行いをするために使おうということである。そして自分だけでなく、他者と助け合いながら良い社会を作っていこうという教えだ。

そこには失われてしまった武士道精神を柔道によって後世に伝えていこうという嘉納の意志が感じられる。

世界の柔道界が嘉納の理想とかけ離れていく中で、フランス柔道界にはまだ「正しい柔道」の姿が色濃く残されているように思える。8つの行動規範に見られるように、高邁(まい)な精神性がそこには存在するからだ。

2016年、マルセイユのトレーニングセンターにおいて、フランス代表柔道チームの強化選手合宿で特別講師として指導を行う筆者(手前)=筆者提供
2016年、マルセイユのトレーニングセンターにおいて、フランス代表柔道チームの強化選手合宿で特別講師として指導を行う筆者(手前)=筆者提供

フランスでは、教育的観点から12歳以下の子どもの全国大会を開催していない。子どもたちの柔道による死亡事故はゼロだ。まず畳の上でゴロゴロ転び、投げられる恐怖心を除く。一方日本では子どもたちに早く試合をさせたいため、受け身の習得と言いながら、いきなり投げられることを体験させる試合至上主義の指導者がいる。そのため2010年には「毎年、柔道事故で約4人の子どもが亡くなり、約10人が重い障害を負っている」と指摘を受けたほどである(※7)

女子柔道強化選手15人が指導陣による暴力行為やパワーハラスメントを受けた事件をきっかけに、2013年、全柔連の助成金不正受給や名門大学柔道部の暴力事件など一連の不祥事が明らかになり、全柔連は組織の再構築を行った。いよいよ来年、2020年東京五輪・パラリンピックが開催されるが、日本の柔道界は「暴力体質」を克服できたのか。嘉納が掲げた理念を体現できるのか。柔道の聖地で開催されるオリンピックは、金メダルの数だけでなく、日本柔道の真価が問われる大会でもある。

バナー写真=柔道の国際合宿で、リオデジャネイロ73キロ金メダルの大野将平と、乱取り前に握手を交わす100キロ超級五輪2大会連続金メダルのテディ・リネール(フランス)=2017年6月14日(時事)

(※5) ^ 明治から昭和期にかけての政治家・実業家。

(※6) ^ 旧制高等学校、大学予科・旧制専門学校の柔道大会で行われていた寝技中心の柔道。

(※7) ^ 内田良著『柔道事故』(河出書房新社、2013年)

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日本女子体育大学教授。全日本柔道連盟評議員。専門は、スポーツ社会学。1971年、静岡県生まれ。92年バルセロナ五輪女子柔道52キロ級銀メダリスト。2002〜04年、日本人女性初のフランス五輪代表柔道チームのコーチを務める。15年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。静岡文化芸術大学教授を経て、18年より現職。主な著書に『日本の柔道 フランスのJUDO』(高文研、2015年)、『性と柔:女子柔道史から問う』(河出書房新社、2013年)など。

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