大阪的ってなんやねん
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中国人旅行者を魅了する大阪の商店街や市場
レギュラーで出演していたラジオ番組で、大阪ミナミの街がなぜ外国人、とりわけ中国人旅行客に人気なのかを話したことがある。
その際、両親とともに1980年代に来日し神戸の大学を卒業し、大阪と上海を行き来しているビジネスマン、そして90年代から大阪で中国人客のインバウンド向けネット情報発信会社を経営する社長の2人に、以前から懇意にしているのでまず話を聞いてみた。
大阪の街で、何が面白くて、どこに行きたくなるのか。
口をそろえて言うのがミナミであり、具体的なエリアでは「道頓堀」や「黒門市場」。飲食店を中心に小さな店舗がごちゃごちゃっとストリートに集まっている。屋台的とも言えるそういう街の手触りが魅力とのことだ。
特に印象深かったのは、次のような話だ。中国の大都市はここ20年で一気に近代化され、高層ビルに入った巨大ショッピングモールやグルメパークなどが増えた。そういう大規模商業施設に慣れた中国人客にとって、街をうろうろできる大阪の商店街や市場こそが楽しいとのことだ。とりわけ大都市・上海で生まれて育った50代以上の世代にとっては、「店先をのぞいて気軽に買い食いできる飲食店がとても懐かしい」のだそうだ。
ここ10年ぐらい前まで、汁そばや粥(かゆ)の食堂、肉まんなどの包子(パオズ)専門店のあった上海の下町がことごとく再開発されたとのことで、「なるほどそういうことか」と思った。再開発とは「ごちゃごちゃとした街場」が「きれいな大規模高層ビル」に様変わりすると捉えて間違いないようだ。
ぶらぶら歩きが楽しめる商店街はまさに「大阪的」
大阪の街はおおかた「商店街でできている」と、よく言われる。
デパートやブランドもののファッションビルが並ぶ心斎橋筋も、くいだおれ太郎やカニやふぐやタコの巨大看板が並ぶ道頓堀も商店街だし、かと思えば、鍋や包丁はじめ「食の道具」に特化した、そこに行けば鉄板もコテもソース入れもはけも、ちょうちんやのぼりも手に入って、明日からたこ焼き屋がオープンできるという、難波の千日前道具屋筋商店街のような「専門商店街」も大阪ならではの商店街だ。
中国人客に人気の黒門市場は、「生鮮食品専門商店街」だ。もともとは地元の料亭や割烹(かっぽう)のプロの料理人御用達の「玄人の店」ばかりである。
またマグロ専門店の隣が食堂だったり、その向かいが豆腐屋で隣が喫茶店だったりもするから、大型スーパーに行って肉売り場で肉を買ってその後野菜売り場へ、といった合理性や効率とは無縁だ。「街が凸凹している」という表現がしっくりきそうだ。
中国人観光客の黒門市場でのお目当ては、マグロやエビ、貝をはじめとするシーフードだ。中国の富裕層はとてもグルメで、恐るべき口コミ情報通である。黒門市場に行くとトロのにぎりやエビの串焼き、てっちり(ふぐ鍋)までが気軽に食べられることをよくご存じだ。北新地や東心斎橋あたりのネオン街の飲食店で食べるよりも安くてうまいし、おまけに市場だから新鮮。そういうコストパフォーマンスについて知り抜いている節がある。
料亭や割烹のプロが買いに来る、ふぐ専門の老舗鮮魚店の店先ではキャンプ用の椅子テーブルセットにカセットコンロを出して、てっちりを食べさせている。お店によると、10年ほど前に「ふぐが食べたい」という中国人グルメ観光客の出現に目を丸くしたが、彼らのニーズをいち早くキャッチし、今ではポン酢で食べるレギュラーのてっちりに加え、スープ仕立ての鍋も用意して彼らに好評だ。このふぐ専門店に30年来の友人がいるのだが、「なかなかうまいで、ダシの味見てみ」と出してくれたのを試食したことがある(彼はまことに大阪人である)。
マグロ専門卸では店先にベンチを出してトロのにぎりを、貝やエビの専門店では店頭で焼いている串焼きを立ち食いで、というように店先で食べられるようにコーナーが設けられている。
高級食材であるふぐやマグロをわざわざ黒門へ買い出しに来る料亭や鮨屋といった昔からの客筋の商売人の横で、リッチな中国人グルメ客が新鮮なそれを食べている光景はなかなかシュールだが、結構しっくりきているのが「何でもあり」の大阪ミナミらしい。こういった商売人の柔軟性、サービス精神が、まさにミナミという街に生きる市場の人々から垣間見える「大阪的」にほかならない。
黒門市場に限らず、大阪の商店街の良さはぶらぶら歩いて楽しいことだ。それぞれの商店街に違った表情があって、そのストリートやエリアならではの「地元」な手触り感がある。
私たち地元民にとって、行きつけの商店街に行くことは、いっぺんに何軒もの知り合いの家に遊びに行くような感じで楽しいのだが、外国人やよその街の人にとっては、入場料も拝観料も要らないのに、出来合いの「テーマパーク的観光地」とは比較にならないほど面白い発見がたくさんあるのだろう。
「いらんこと」を言ってくれたりがうれしい大阪の礼儀作法
大阪人特有の「コミュニケーション」は、グルメにしてもショッピングにしても、商品を自慢する前に「まいど」から始まる会話がある。タクシーに乗れば天気予報や阪神タイガースの実況中継をしてくれるし、飲食店のカウンターに座れば「どこから来たの」と尋ねられ、「これおいしいから」と「今日のうまいもん」を薦めてくれる。
カウンターを挟んで客と料理人が向き合って言葉のやり取りをする料理店である「割烹」は、大阪が生んだ飲食店の一業態だが、そこでは品書きと値段が情報化されたメニューとして表記されるのではなく、コミュニケーションの上に料理がのっかっているようなものだ。
食材を買うこと一つでも、大型スーパーに並べられたトレーのラベルを見て、こっちが黒毛和牛のすき焼き用のロース何グラムでいくら、こちらが国産牛のサーロインで何グラムいくらとか、そういう情報を見比べて必要なものをカゴに入れて、レジに持っていってバーコードで「ピッ」ということではない。
大阪の商店街は、だいたい市場付きのいわば「日常の生活」商店街がほとんどで、例えば塩干店の店頭でうまそうなカマスの干物を見つけて、「これ、どうやって焼いたらいいんですか」と聞けば、「オーブントースターがいいけど、あとが臭くなるから、フライパン中火でそのまま裏表10分」というふうに答えが返ってくる。
そして時には「おまけ」があったり、「いらんこと」を言ってくれたりで、「ああ、大阪やなあ」となる。
この大阪特有のコミュニケーションのありようは、大阪人が口にする語彙(ごい)や大阪弁のイントネーションといったものではなく、長い間かけて大阪の商店街の実生活で培われた、客と店側の接触の仕方である。よく言われる大阪の「おもろい」至上主義というのは、吉本的お笑い要素では決してなく、大阪人が他者と関わる際の作法、ものの感じ方や表現の方法なのである。
「地元意識」を共有できる大都会
大阪は大都会である。これに異論を差し挟む人はいない。大都市や都会は、匿名的な存在でいられる場所であり、旅行者のようにあっちこっちと食べ歩いたり、流行軸に沿ってあの店この店とショッピングしたりすることが、当たり前にできるところだ。
けれども大阪ミナミの街場では、客・店の双方が実名的存在で、どちらも「地元意識」を共有するコミュニティーの一員であるようなことが多い。
もちろんこの匿名性と実名性を使い分けることが、楽しい都市生活を送ることの要件だと思うのだが、大都会のなかで人情味あふれる出会いがあって知り合いになれる他者の数を有限と見るのか無限と考えるのかで、都市生活での人の付き合い方や振る舞いのありようががらりと変わってくる。
大阪という土地に住む大阪人には、「知り合いばかりで、みんな良い人、おもろいヤツ」といった理想が、社会倫理の基底にあって、それは日本語を解せない外国人観光客にも分かる。
そうした感覚はデータや数字で示すことはできないが、大阪人のわれわれが、パリやイスタンブールの下町でも同じようなにおいを感じることに通じるのではないか。
バナー写真=大阪ミナミを代表する繁華街・道頓堀(撮影:黒岩 正和)