松本清張生誕110年「巨匠最晩年の素顔」(下)

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今年、松本清張生誕110周年となるが、『砂の器』がテレビでリメイク放映され、横浜の文学館では特別展が開催されるなど、いまだに清張人気は衰えていない。最晩年の作家の素顔を当時の担当編集者が紹介する。その後編。

<上>から続く)

 私が最初にお手伝いをした『聖獣配列』は、日米首脳会談とスイス銀行の秘密口座に材をとり、国際謀略小説に仕立て上げていた。この作品では、日本の迎賓館の内部の間取りなどを克明に描いていたので、当時の警視庁の警備担当者を慌てさせたという逸話がある。なにしろ、日本の女性が迎賓館に忍びこみ、米大統領と密会するという大胆なシーンがある。リアリティがなければ、読まれるはずがない。
 作家独自の取材と、担当した先輩編集者の助力による成果であろう。この作品のために、先生はヨーロッパへ取材旅行に出かけている。

 続く『赤い氷河』では、当時謎の奇病といわれたエイズを、東側某国が西側大国を滅亡させるために開発した生物化学兵器と見立てた野心作だった。
 これには、遺伝子工学の当時の最先端の知識が盛りこまれているから驚きだ。
 このときには、医学者と科学者をなんども取材したものである。

 巨匠はすでに70代半ばにさしかかっていたが、週刊新潮の連載では、常に最先端で斬新なテーマを求めていた。
 そこには、過去の名声に安住しない、作家の創作意欲と矜持があったと思う。この2作品でわかるように、当時の先生の関心は、国際的なミステリー小説に向かっていたように思う。

 実は、次作の素材として準備していたのが、世界的なダイヤモンド・シンジケートの「デ・ビアス」だった。
 もともとは、英国人が植民地の南アフリカで発見した、ダイヤの原石が豊富に採れる鉱山。その原石の採掘から研磨、販売、市場価格の統制に至るまで、あらゆる利権を牛耳っていたのがロスチャイルド系資本のデ・ビアス社である。
 だが、20世紀後半に、オーストラリアでダイヤの埋蔵量豊かな鉱山が発見されるにおよび、独占体制が揺らいでいく。

 作家は、ユダヤ系資本と日米を巻きこむ謀略小説を構想していた。
 私は名代として、オーストラリアの鉱山を訪ねた。それは想像を絶する巨大なダイヤモンド採掘プラントで、広大な砂漠の中に、忽然とあらわれた蜃気楼のような建造物だった。
 巨匠が、どのように描き出すのか、楽しみだった。
 

「一代の世話物にしたい」

 結果的には、取材が長期化し、なお構想を練り直すため、ひとまずこのテーマは見送られることになった。代わりに浮上してきたのが、一転して江戸時代を描いた『甲州霊嶽党』である。
 作家にとって、久しぶりの時代小説だった。

 連載が始まる前年、先生はご家族と一緒に山梨県西部、南アルプスに連なる山中の温泉宿を訪れている。山深く、宿のすぐ近くを早川が急流し、その下流に、ダムに沈んだ雨畑村の一部があるが、その近辺に武田信玄の隠し金山があったといわれている。
 実際に、近代まで細々と金が掘られており、小さいながら廃鉱が残っている。
 この地が、作品の重要な舞台となる。

 後年、ご家族に伺った話だが、入院するまでそれほど病状が悪化しているとは思わなかったという。確かに、私の目から見てもそうだった。
「今から思えば、珍しく家族を連れて旅行に行ったのも…」
 と、ご家族はふりかえる。
 松本清張作品のなかで、山梨県を舞台にした小説はいくつかある。本作品は、その集大成として長年温めてきたものだったのだろう。
 そして、常に仕事のことしか頭にない先生のことだから、家族旅行するつもりでも、旅先できっと小説の重要なヒントを得たのではなかったか。 

「自分にとって一代の世話物にしたい」
 連載を始めるにあたって、そう意気込んでいた。昨今の江戸を描いた小説には、「世話物的な妙味が薄れている」と嘆いていたのである。
 本作の主人公は、平賀源内。物語は、老中田沼意次が権勢をふるう安永3(1774)年から始まる。
 ストーリーは、源内が彫金師の失踪事件を探索するうち、甲州の隠し金山にたどりつき、この地の天狗(これが霊嶽党だと思われる)と結託し、時の権力者田沼に食い込もうとするものだった。

 ご本人が平賀源内について語るとき、自らの姿とダブらせているように思えてならなかった。源内は、類稀なる才人で、発明家、本草学者、地質学者、蘭学者、蘭画家、浄瑠璃作家などなど、いくつもの顔をもつ。本作では、そうしたエピソードがふんだんに盛りこまれている。
 しかし源内は、時の権力者に反発し、終生、在野の人にとどまった。
 作家にとっては、描いてみたい歴史上の人物のひとりであり、腕の見せ所だったのだろう。
 

「私は書き続ける」

「清張さんの原稿は締切ギリギリまで入らない」というのが、各社の歴代担当編集者の間で定説になっていた。
 この作品に限っては当てはまらなかった。締切の一週間前までには必ずできあがっている。万年筆で文字が記された原稿用紙には、あちこちに修正した跡がみえ、線を引いて余白に書きこみを指示した個所がいくつもある。
 しかも、まっさらなゲラを出してからであっても、納得がいくまで何度も手を入れる。精魂をこめて、丹念に文章を練り上げていく。ゲラはたちまち書きこみの文字で埋め尽くされていた。

「私には時間がない」
 というのが、その頃の先生の口癖だった。
 ノーベル文学賞候補にたびたび擬せられる大家の名前を口にして、
「あの人はまったく小説を書かなくなった。私は書き続ける」
 と、現役作家としての強烈な自負をのぞかせた。
「三島由紀夫の『豊饒の海』は失敗作ですよ」
 と聞かされたこともある。
 そのときの迫力に私は気圧されて、「どうしてですか?」と聞けなかった。
 尋ねておけばよかったと、いまでも後悔している。

「あといくつ、作品を残せるか」という思いが強かったのではなかったか。創作意欲には鬼気迫るものがあった。
 本作の第1回は、1991(平成3)年12月末に発売された新年合併号に掲載された。
 第2回目の原稿を頂戴したのは、年明け早々の正月3日である。
 ご本人から、これは私の自宅に電話があり、お昼に松本邸に伺うと、しばし応接で待たされたのち、原稿を片手にあらわれた。
 先に記した、いつも見慣れた着物のスタイルである。
 開口一番、
「私は紅白(歌合戦)も見ないで徹夜で書いていたよ」
 作家の、気持ちの高ぶりが伝わってきた。それだけ力を入れていた作品だ。連日、仕事場で机に向かっていたのにちがいない。 

 ご高齢ではあったが、健康不安など微塵も感じさせなかった。相変わらず寸暇を惜しんでの執筆に余念がなく、当時、『週刊文春』にも『神々の乱心』を連載していた。これは、大正末期から昭和初期にかけて、宮中に忍び寄る新興宗教の陰謀を描いた作品。史実から材をとっており、こちらは連載105回を数えたところで、完成目前にして絶筆となった。のちに単行本として出版されている。
 当時、週刊誌の連載を同時に2本もつということは、いかに大変なことであり、精力的であったことか。
『神々の乱心』の創作ノートも、小泉孝司氏の幻想的で細密な挿絵とともに、今回の特別展で展示されている。

1992年8月10日、松本清張氏の「おわかれ会」で献花する長男・陽一さん夫妻(時事通信フォト)
1992年8月10日、松本清張氏の「おわかれ会」で献花する長男・陽一さん夫妻(時事)

震える筆先で記された10文字

 先生が入院されたという連絡を、ご家族から受けたのは1992(平成4)年4月21日の朝だった。前夜、会合先から帰宅して、具合が悪くなったという。

 にわかには信じられなかった。前日の夕方、私は次回の原稿について、依頼されていた取材の結果を電話で報告していた。その内容は、江戸時代の将棋の定跡について調べてほしいというもの。声は普段とまったく変わらず、お元気そのものだった。
「これから出かけるから、資料は明日届けてほしい」
 こう言われたのが、最後の会話になってしまった。
 のちに知ることになるのだが、すでに次回の原稿を大半、書き上げており、将棋の場面が3行だけ空欄になっていた。 

 病に倒れても、作品のことを最後まで気にかけていたのだろう。ご家族から、病室で先生が私に宛てて走り書きしたメモがファックスされてきた。入院直後のことである。
 連載の今後について指示したものと思われたが、震える筆先で記された10字ほどの文字は、乱れて判読できなかった。

  本作品は、序盤のお膳立てが整い、これから佳境に入っていくところであった。1年間の連載予定だったので、全体の3分の1程度か。
 その後、作家は筆をどう進めるつもりだったのだろうか。
 先生は、担当者にも先々の展開を明かしたりはしない。
「どうなるんですか?」と聞いても、「そんなことはいえませんよ」と、いつも煙にまかれていた。教えないのは、原稿を最初に読ませたときの、反応を知りたいためだ。編集者の先の、読者のことを常に考えていた。
 本作でも、巨匠ならではの、凡夫の思いもよらないアッと驚く仕掛けと結末を用意していたに違いない。 

 特別展「巨星・松本清張」には、是非、足を運んでいただきたいと思う。およそ40年にわたる作家活動のすべてが網羅されており、松本清張氏の多彩な作品世界をじゅうにぶんに堪能することができる。

 私が担当した『甲州霊嶽党』は幻の作品となった。全集にも収蔵されていない。
 唯一、生誕100年を記念した「小説新潮」(2009年12月号)に、約300枚の原稿が一挙掲載されているのみである。

「小説新潮」(2009年12月号)
未完の『甲州霊嶽党』が一挙掲載された「小説新潮」(2009年12月号)

 (バナー写真:JTBの保管庫に残っていた松本清張の「点と線」の直筆原稿 時事)

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