李登輝が敬礼した男、陳俊郎氏の破天荒人生

歴史

大洞 敦史 【Profile】

物腰穏やかな老紳士・陳俊郎さん

ぼくは台湾南部の町、台南で日本そばの店「洞蕎麦」を経営している。時には日本統治期に生まれた世代の方々も来店される。最も頻繁に来てくださるのは、今年で92歳になられる陳俊郎さんだ。常に柔和なほほ笑みをたたえ、背筋がぴんと伸びた、物腰穏やかな紳士だ。ぼくはよく店内で沖縄三線を演奏するが、あるとき「知床旅情」を弾いた。陳さんは歌詞の最後まで見事に歌い上げ、その記憶力に仰天させられた。

知り合った当初の印象は強烈だった。当時、陳さんはここから車で40分ほどかかる台南市郊外の関廟という町に住んでいて、毎週卓球教室に通うために自分で車を運転して市街地まで出てきていた。当店名物のげんこつ大の唐揚げが3つのったそばを平らげ、その上に抹茶アイスもペロリ。店に立ち寄られる度にとても流ちょうな日本語で、ドラマチックで臨場感と躍動感に満ちた昔話を聞かせてくれるのだった。

ぼくも中学校以来学校に通わず、台湾に渡って起業したことで、他人から例外的な生き方だと言われることがある。しかしそれは現代の平和で社会システムが整い衣食住がほぼ保証された環境下での小さな冒険に過ぎない。陳さんの場合はおかれてきた環境の厳しさも、行動力も、スケールが違う。だからこそ陳さんの歩みは、今まさに生きづらさを感じている人や、新しい環境に踏み出そうとしている人にとって、いくばくかの励ましになりうるのではないかと思う。

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大洞 敦史DAIDO Atsushi経歴・執筆一覧を見る

1984年東京生まれ、明治大学理工学研究科修士課程修了。2012年台湾台南市へ移住、そば店「洞蕎麦」を5年間経営。現在「鶴恩翻訳社」代表。著書『台湾環島南風のスケッチ』『遊步台南』、共著『旅する台湾 屏東』、翻訳書『フォルモサに吹く風』『君の心に刻んだ名前』『台湾和製マジョリカタイルの記憶』等。

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