後藤新平のデスマスク、台湾で発見!

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内務大臣兼復興院総裁として、関東大震災で壊滅した帝都の復興に大きな役割を果たした後藤新平の没後90年にあたる2019年4月13日を前に、台北市のとある寺で後藤のデスマスクが一部メディア向けに公開された。

読者の中には、「なぜ台湾で?」と思われる人もいるかもしれない。

台湾は、日清戦争の勝利によって日本が初めて手にした海外領土だった。後藤は第4代台湾総督児玉源太郎を補佐する民政長官として、 1898(明治31)年から1906( 明治39)年までの8年間にわたって、植民地経営に携わった。当時、台湾の人々の間に広まっていたアヘン吸引の禁止や、鉄道・港湾など都市インフラの整備、製糖産業の育成など、矢継ぎ早に近代化政策を実行した後藤は、今も台湾で多くの人にその名を知られる日本人の一人なのだ。

後藤新平(時事)
後藤新平(時事)

実は、私自身が後藤のデスマスクと対面するのはこれが3回目だ。2006年11月、私は神社遺跡の調査研究で訪れていた台北で、たまたま後藤新平のデスマスクに関する情報を入手し、台北市を走る地下鉄MRTの圓山駅前にある臨済護国禅寺を訪れた。臨済護国禅寺は児玉源太郎が仏教布教のために建てさせた寺で、本堂の建立にあたっては後藤も多額の寄付をするなど縁が深い。

彌陀(みだ)殿の2階に安置されているおびただしい位牌に交じって、黒塗りの厨子が大切に保管されていた。その扉を開くと、中に小さめの顔に自慢の口ひげと顎ひげを伸ばしたデスマスクがあった。左右の扉には次のように書かれていた。

昭和四年四月十三日於于京都府立病院逝去
天眞院殿祥山棲霞大居士 霊位
伯爵 後藤新平閣下像

献納 辜顕榮

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