沖縄の「十六日祭」と台湾の「清明節」から考える移民の共生と文化の融合

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古くからの十六日祭と新しい清明節

沖縄から奄美までを含む南西諸島の暮らしは、旧暦を多用する点で台湾に通じるところがあるが、細かく見ていくと、島ごとに相違点があり、同じ島でもエリアごとに違いがある。十六日祭はその好例と言っていいだろう。

例えば、八重山では年中行事となっているのに対して、沖縄本島の那覇市の首里地区や那覇地区などでは、家族や親族が亡くなった後、三回忌まで行い、その後は清明節の墓参りが年中行事となっている。十六日祭と清明節の関係について沖縄民俗学会会長も務めた故・上江洲均氏は「(十六日祭は)古くからの先祖供養行事であるが、18世紀に王家が中国の墓前祭である『清明祭』を受容して後、比重が清明祭の方へ傾いた」と書く。しかし、八重山など首里、那覇の両地区から離れた地域では、「清明祭」を尊重する風潮が強まらず、「古い伝統を守る形で『十六日祭』を行っている」と結論付けている。地域に十六日祭が残っている割合の原因を、清明との競合に求めているのだ。

それでは、なぜ旧暦の1月16日なのだろうか。文献に当たると、遊女が親しい人の墓参りをした日だったとか、那覇で競馬があり、帰途に墓参りをしたとかといった説がある。そんな中、本稿で注目したのは、旧1月15日の元宵節にルーツを見出そうとする説である。十六日祭の起源に触れた文献には「唐の元宵祭灯籠祭り」や「中国の元尚祭」「十六日の燈篭祭」などの言葉が見え、「その余風が今の十六日祭」などと述べている。

台湾の通信社の中央社によると、元宵節に合わせて屏東県で行われていた2019年の台湾ランタンフェスティバルは17日間で1339万人の来場者を集めた。台湾の冬を彩る名物イベントとして定着した元宵節は、沖縄独特の十六日祭のルーツなのかもしれない。台湾の移民たちは異文化として十六日祭に接し、今では自らの習慣として取り入れつつあるが、実はかつて自ら親しんでいた風習を新しい形で取り込み直しているのかもしれない。

石垣島の台湾同郷之公墓で行われる十六日祭。一族が墓前に集い、供え物をして祖先とともに正月を祝う、2013年2月25日、沖縄県石垣市(筆者撮影)
石垣島の台湾同郷之公墓で行われる十六日祭。一族が墓前に集い、供え物をして祖先とともに正月を祝う=2013年2月25日、沖縄県石垣市(筆者撮影)

参考文献

  • 上江洲均『沖縄の祭りと年中行事―沖縄民俗誌Ⅲ―琉球弧叢書16』榕樹書林/2008年
  • 宮良賢貞「旧十六日祭起源考―十八世紀以降祖霊供養に変化か―」(1957年2月11~13日付「海南時報」)、宮良賢貞『八重山芸能と民俗』根元書房/1979年)に収録
  • 宮城文『八重山生活誌』沖縄タイムス社/1972年
  • 国永美智子ら編著『石垣島で台湾を歩く―もうひとつの沖縄ガイド』沖縄タイムス社/2012年

バナー写真=十六日祭で台湾同郷之公墓を訪れ、言葉を交わす台湾系移民の長老たち。清明と同じように、十六日祭も知人や親戚が近況を確かめ合う貴重な機会である=2013年2月25日、沖縄県石垣市(筆者撮影)

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