沖縄の「十六日祭」と台湾の「清明節」から考える移民の共生と文化の融合
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沖縄県や鹿児島県奄美群島には「十六日祭」と呼ばれる、独特の墓参りの風習がある。旧暦の1月16日に親戚一同が先祖の墓の前に集い、料理を持ち寄ってみんなでつつきながら、飲み語らう。さながら、先祖供養の大宴会で、平日であっても、休日扱いにする事業所や学校があるほど、大切にされている年中行事だ。
石垣島に住む台湾からの移民たちは、いつの頃からか、この風習にならい、十六日祭に墓参りをするようになった。台湾風の長めの線香が使われることもあり、双方の文化が融合しているようにも見える。
十六日祭については、台湾で盛んにランタンイベントが行われる旧暦1月15日の元宵節にそのルーツを求める説がある。つまり、八重山で暮らす台湾系の人たちにとっては、移住先の沖縄の伝統文化に寄り添っているようでもあり、自らのルーツに回帰していると言えるのかもしれない。
台湾からの移民にも受け入れられた八重山の風習
十六日祭が盛んに行われる地域は、先島諸島と総称される八重山地方と宮古地方のほか、沖縄本島北部の国頭地方、鹿児島県の奄美地方などである。八重山では平日でも学校が午後から休みなったり、事業所が休業したりして、墓の密集エリアは昼前から墓参の人たちで車の渋滞が起きるほどだ。
2019年の旧暦1月16日は2月20日の水曜日。石垣島中央部の嵩田(たけだ)地区にある墓地では、台湾系2世の玉木茂治さん(62)が家族と共に墓参りをしていた。玉木家は、台湾南投県出身の母、玉代さん(90)の意向もあって毎年、十六日祭に墓参りをしている。八重山の風習に合わせて墓参りをすることに、茂治さんは「特に違和感はありませんね。小さい時からそうだったから」と話す。
八重山地方は、日本の一番西に位置し、主島の石垣島は那覇市まで約410キロメートル離れているのに対し、台北までは約280キロメートルという近さである。こうした地理的な条件もあって、20世紀に入って台湾から盛んに移住が行われた。茂治さんの場合、父親の真光さんが農地を求めて戦前の石垣島に渡っている。玉代さんは戦後に結婚し、石垣島で暮らすようになった。
同じく嵩田地区に墓がある島本絹子さん(64)も十六日祭に墓参りをしている。絹子さんは台湾系3世、夫の哲男さん(67)は同2世。絹子さんが1977年に嫁いだところ、島本さん宅では義母が出身地である彰化県員林の実家で慣れ親しんできたやり方をそのまま石垣島に持ち込み、旧3月3日に墓参りをしていた。
絹子さんが当時を振り返る。
「3月3日は日本では桃の節句。女の子のお祭りの日に墓参りをするのはおかしいので、十六日祭に合わせた方がいいのではないかという話をしたのです」
他の人がお墓にごちそうを並べているのに、うちだけやらないのは先祖に申し訳ないという気持ちもあった。義母は絹子さんの説明に納得し、それ以来、島本家は十六日祭に墓参りをしている。
祖先を敬う気持ちは同じ
石垣島には、嵩田地区の他に、もう一カ所、台湾系の人たちの墓が集中している共同墓地がある。市街地に近い台湾同郷之公墓である。同公墓では、台湾の風習にならい、4月の清明節に合わせて墓参する人が多い。台湾系の人たちでつくる琉球華僑総会八重山分会も祭壇に供え物を用意して、焼きそばなどの料理を振る舞っている。
台湾系2世の東金三さん(66)は、清明節に合わせて同公墓内の墓で祖先を供養している台湾系住民の一人だ。十六日祭の日に話を聞いてみると、「うちは(墓参りをせずに)普段通りでした。台湾系の人は何人かが十六日祭をやったようです」と答えてくれた。十六日祭に墓参りをしたある家庭を例に挙げ、「この人は(台湾系ではない)八重山の人と結婚したから十六日祭に墓参りをやっていますよ」と付け加えた。
祖先を敬って墓に参る行為は個人的なものだが、その土地の人たちが同じ日に一斉に行うとなると、生きている人たちの間にも行き交いが生まれる。知人の墓へ線香を立てに行ったり、逆に自分の家の墓で迎えたり。八重山へ移住してきた台湾系の人たちは土地に溶け込んでいき、その中には、十六日祭という八重山ならではの仕組みで知人や親せきとコミュニケーションを取る人も出てきている。
東さんと同じように同公墓に墓を持つ高雄生まれの吉本美雪さん(67)は十六日祭でも清明節でも墓参りをする。八重山の風習と台湾の風習の双方にのっとっているわけだ。十六日祭の墓参りをするようになったのは、20年ほど前に台湾出身の父が亡くなってからのこと。「母が『他のみんなは食べているのに、お父さんだけ食べ物がないのはかわいそう』と言い、十六日祭もするようになりました」。絹子さんと似たような理由を説明する。
清明の墓参りも続けているのはなぜだろうか。
「台湾人なので、やるべきことはやりたい。できる限り守っていきたい。伝統的な行事ですから」。吉本さんはこう説明し、さらに「(この考え方は)八重山や沖縄の人と同じではないか」と付け加えた。伝統にのっとって祖先を敬おうとする気持ちに台湾も沖縄もないというわけだ。
古くからの十六日祭と新しい清明節
沖縄から奄美までを含む南西諸島の暮らしは、旧暦を多用する点で台湾に通じるところがあるが、細かく見ていくと、島ごとに相違点があり、同じ島でもエリアごとに違いがある。十六日祭はその好例と言っていいだろう。
例えば、八重山では年中行事となっているのに対して、沖縄本島の那覇市の首里地区や那覇地区などでは、家族や親族が亡くなった後、三回忌まで行い、その後は清明節の墓参りが年中行事となっている。十六日祭と清明節の関係について沖縄民俗学会会長も務めた故・上江洲均氏は「(十六日祭は)古くからの先祖供養行事であるが、18世紀に王家が中国の墓前祭である『清明祭』を受容して後、比重が清明祭の方へ傾いた」と書く。しかし、八重山など首里、那覇の両地区から離れた地域では、「清明祭」を尊重する風潮が強まらず、「古い伝統を守る形で『十六日祭』を行っている」と結論付けている。地域に十六日祭が残っている割合の原因を、清明との競合に求めているのだ。
それでは、なぜ旧暦の1月16日なのだろうか。文献に当たると、遊女が親しい人の墓参りをした日だったとか、那覇で競馬があり、帰途に墓参りをしたとかといった説がある。そんな中、本稿で注目したのは、旧1月15日の元宵節にルーツを見出そうとする説である。十六日祭の起源に触れた文献には「唐の元宵祭灯籠祭り」や「中国の元尚祭」「十六日の燈篭祭」などの言葉が見え、「その余風が今の十六日祭」などと述べている。
台湾の通信社の中央社によると、元宵節に合わせて屏東県で行われていた2019年の台湾ランタンフェスティバルは17日間で1339万人の来場者を集めた。台湾の冬を彩る名物イベントとして定着した元宵節は、沖縄独特の十六日祭のルーツなのかもしれない。台湾の移民たちは異文化として十六日祭に接し、今では自らの習慣として取り入れつつあるが、実はかつて自ら親しんでいた風習を新しい形で取り込み直しているのかもしれない。
参考文献
- 上江洲均『沖縄の祭りと年中行事―沖縄民俗誌Ⅲ―琉球弧叢書16』榕樹書林/2008年
- 宮良賢貞「旧十六日祭起源考―十八世紀以降祖霊供養に変化か―」(1957年2月11~13日付「海南時報」)、宮良賢貞『八重山芸能と民俗』根元書房/1979年)に収録
- 宮城文『八重山生活誌』沖縄タイムス社/1972年
- 国永美智子ら編著『石垣島で台湾を歩く―もうひとつの沖縄ガイド』沖縄タイムス社/2012年
バナー写真=十六日祭で台湾同郷之公墓を訪れ、言葉を交わす台湾系移民の長老たち。清明と同じように、十六日祭も知人や親戚が近況を確かめ合う貴重な機会である=2013年2月25日、沖縄県石垣市(筆者撮影)