日本捕鯨のIWC脱退:その本当の意味
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2018年12月のクリスマス翌日、国際捕鯨委員会(IWC)を脱退した日本に、国際社会は驚きを示した。
これまで日本は、国連はじめ多国間協議機関を重視する点、自他ともに任じる国だった。自国優先主義に追い風、多国間主義に逆風となる――日本の「逆行」は批判を呼んだ。
哺乳類のなかでも知能優秀とされる鯨。商行為として巨大な動物が仕留められる場面を想像し、眉をひそめる向きも少なくない。しかし、日本がとった選択に、語られざる真の実態があったのだとしたら…。捕鯨問題を長年追いかけてきた筆者には、IWC脱退は日本捕鯨の「終わりの始まり」に見える。
内実は大規模捕鯨の「終わりの始まり」
日本はIWCを脱退した。商業捕鯨を再開するという。「脱退」の二文字に、かつての戦間期、国際連盟に対して日本が示した行為を連想した日本人は少なくなかった。人も知る通り、日本を孤立と敗北へ導いた「終わりの始まり」は、当時の外相、松岡洋右が連盟会場をスタスタ歩き出たあの行動だった。
今度もそうだろうか。日本は英国、オーストラリア、ニュージーランド、カナダや米国、主要欧州諸国といった、さもなければ同盟の契りを結ぶべき国からあえて指弾されてでも、孤絶の道を行こうというのか。
IWC脱退は、やはり何ごとか、「終わりの始まり」である。けれども終わるのは、必ずしも日本の国際的声名ではない。皮肉にも大規模な捕鯨そのものである、と本稿は主張しようとしている。IWCからの脱退は実のところ、日本捕鯨が奏でた「白鳥の歌」だった。
国営事業だった調査捕鯨
ミンククジラは、IWCによって商行為として捕獲することが許されていなかった。調査のための捕鯨なら話は別で、不法にならない。日本は、IWCが商業捕鯨に課したその名もモラトリアムがいつか解けるのを期し、調査のための捕鯨としてミンククジラを遠く南極海に求めて、例年初冬ともなると船団を組みオーストラリア、ニュージーランドの近くに出掛けていった。
商行為でないのだから、「定義によって」、民間事業者は手掛けることができない。また調査行為である以上、本業は調査そのものであって、捕れた鯨は「副産物」と称された。売って得る収入も「副産物収益」とされた。
単なる言葉の言い換えではなかった。なんとなればその「副産物収益」は、次年度に実施する調査行為の経費を賄うため以上であってはならないと、IWCの枠組みによって厳格に規定されていたからだ。鯨を売りさばくことで、仮にも利益など上げてはならなかった。トートロジーとなるのを構わず言うならば、あくまでも商行為ではなかったからである。
以上の経緯によって、日本の捕鯨とは、一般財団法人日本鯨類研究所(以下鯨研)を唯一の事業主体とする、事実上の国営事業とならざるを得なかった。
国内の鯨肉需要はごくわずか
一次産品におけるマーケットメカニズムとはおしなべて、価格をまず市場が決めるものである。生産者は、その価格条件下で利益を確保できるよう経費を制御する。こうした動態は、国営非営利事業のわが国捕鯨にはまるで無縁となった。
商行為ならぬ調査事業なのであるから、消費者が鯨肉を求めているかどうかは考慮の外に置かれた。どれだけの鯨を捕るかは、調査事業の継続に最低どれほどの鯨肉が必要かを考え、いわば先験的に決められた。
日本の消費者は鯨肉を何年かに一度、偶然食せる程度には残っていてほしい、いわば珍味中の珍味としてどこかにあってほしいと念じこそすれ、日頃買い物に出かけるスーパーやコンビニの棚にいっこう鯨肉を見いださなくても、なんら異としない。
すなわち需要は極めて微弱であるから、鯨研(正確にはその委託を受けた共同船舶株式会社)が持ち帰る鯨肉は、市場に対し常に供給過多となった。学校や病院などまとめて買ってくれそうな需要家を探そうと、共同船舶とその営業部隊が続けた努力には涙ぐましいものがあった。繰り返すが、売れない限り、翌年度の調査が続けられなかったからである。
調査捕鯨の”赤字”は補助金・助成金を投入
鯨研の2018年度(2019年3月末まで)収支予算によると、支出見積もりのうち最も大きな項目は、「用船費」の36億円余り。これは後に触れる「日新丸」など捕鯨のための船を、要員を含めその保有主・共同船舶から調達するのにかかる経費である。
いま鯨研、共同船舶と二つの事業主体に言及している。この二者は、一方が欠けると他方が成り立たない一対の関係にある。本部または本社の所在地も、同一ビルの同じフロアだ。
一方、鯨研が同年度に見積もった副産物収入は24億円である。この金額、すなわち国家独占事業として続いてきた捕鯨がもたらした鯨の売上高24億円は、果たして多いのか少ないのか。この金額は肉用牛の0.3%、ブロイラーの0.7%程度だといえば、相場観が得られよう。
いずれにせよ用船費に対し、12億円足りない計算である。調査に欠かせない船の調達が、実は賄えない状態になっていた。不足分を補い、その他の経常経費をカバーしていたのが、国から補助金、助成金として交付された45億円余りに達するカネだった。税金を原資とする資金である。
補助金は、鯨研が水産庁から直接もらい、一般正味財産に充当するもの。いわば増資に当たる。助成金とは、水産業支援の公的資金分配を担うNPO法人を経て鯨研に来るカネで、民間企業でいう短期借り入れ。鯨研はエクイティ(資本)でもデット(負債)でも、納税者のカネなしに立ち行かない実態だ。
商業捕鯨では難しい船の更新
商業捕鯨にするという以上、今後は事業動機や資金の流れが変わるはずだ。もしも変わらないとすると、鯨研に数十億円国費を注ぎ込み続けることの是非を納税者は問うべきだろう。初めにコストありき、それを収入が賄えないなら国庫の補助金で埋めるとは、商行為にあるまじき行動原理だ。もはや、成り立たない。
商業捕鯨をするとなると、鯨肉の売り上げ24億円がその市場規模となる。これが仮に倍になったとしても約50億円。日本にはこの程度の年間売上高をもつ企業なら無数にあるが、この規模を上限として、従事できる労働者の数、費やせる投資額など、全てが逆算されて決まってくる。
差し当たり、捕鯨母船・日新丸の新規更新は不可能となろう。1977年12月の建造以来荒波を越えてきた同船は、とっくに船齢の限界を超えている。新造船の計画は、過去10年ほど浮かんでは消えた。事業の継続性を慎重に見た財務省が、首を縦に振らなかったと想像される。
この先、保有主の共同船舶に、新しい船がつくれるとは思えない。同社の資本金は、わずかに5000万円。上に見たとおり、納税者による補助金抜きには、現行の事業でさえ成り立たない収益構造だからである。
白鳥の歌を聞く捕鯨事業者
鯨研と共同船舶は、今後商業としての捕鯨を、日本の排他的経済水域(EEZ)内をもっぱらとして続けることとなる。市場の需要が第一にして最大の制約条件となる新しい算式に応じ、コストの計算をし直さなくてはならない。おそらくは数次のシミュレーションをしたことだろう。
鯨肉などあろうがなかろうが何ら痛痒を感じない国民の本音を正確に反映し、日本の大手メディアにはここらを深掘りし、取材しようとする記者がいない。そのせいで、鯨研と共同船舶はもしかすると存亡の危機にあるということを伝える報道がない。外国メディアは日本で報じられないものを元来伝えないから、このことは内でも外でも、大方に気付かれないままである。
IWCのくびきをかなぐり捨て、世界がどう言おうがわが道を行く、その道とは商業捕鯨の再開だと言えば、威勢はいい。このところ、外国人観光客の激増によって慣れ親しんだ景観が一変するのを忍び、あまつさえ、2019年4月からは外国人労働者の本格受け入れが始まって、日本が日本でなくなりそうな恐れを感じつつ、それでも黙ってこらえてきた保守層は、いっとき溜飲を下げたかもしれない。
その実はといえば、日本の捕鯨を包んで流れる歌は、白鳥の歌。家族を入れても1000人規模に届くかどうか疑わしい従事者を数えるに過ぎない小さな産業は、この先、もっと小さくなっていく。
バナー写真:北西太平洋での調査捕鯨で、北海道の釧路港に水揚げされたミンククジラ=2017年9月4日(時事)