あなたは「山本頭」を知っているか?!

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台湾の街を歩いていた時、とある理髪店に目が吸い寄せられた。店のガラスに大きく書かれた髪型のメニューに「山本頭」とあり、思わず首をかしげた。

「山本頭?」

「山本」に髪型を意味する「頭」を付けたのだから、おそらく日本の「山本さん」と関係があると思われる。しかし、日本で「山本」と呼ばれる髪型があるとは、これまで聞いたことがない。日本にはなくて台湾にある「山本頭」とは、いったいどんな髪型なのだろうか?歌手・山本譲二さんと何か関係があるのだろうか?

1964年に開店した桃園市にある理髪店「平頭専門店/スポーツがり」のオーナー・劉鬍子さんによると、山本頭の山本とは、戦時中、連合艦隊司令長官を務めた山本五十六を指すそうだ。

昭和の日本映画が流行のきっかけに

山本は1884年に新潟県で生まれ、太平洋戦争終戦の2年前、1943年に現在のパプアニューギニア(ブーゲンビル島)上空で戦死した。戦前は米国での駐在経験があったので、日本との国力の差によく通じており、日独伊による三国同盟に強く反対。東京壊滅を予言し、当時の首相であった近衛文麿に日米開戦を回避することを提言した。しかし戦争が始まると、真珠湾への奇襲攻撃を企画・遂行したことで知られる。

冷静沈着で頭も切れるが、やる時にはやる「男気」あふれる山本像は、「五十六」という名前の面白さも加わって、台湾の、特にやくざ関係の男性たちから絶大な支持を集めた。前述の理髪店の劉さんによると、台湾で「山本頭」が流行し始めたのは40年ほど前の80年前後からという。時期的にいえば、1981年に日本と香港で公開されて大ヒットした映画『連合艦隊』(松林宗恵監督)のころで、もしかするとそれも流行のきっかけになったかもしれない。

劉さんいわく、台湾人男性の髪型の歴史には、山本ともう一人、歌手・俳優として台湾でも人気を誇ってきた石原裕次郎さんも、大きな影響を与えているという。少年時代を台湾で過ごした森田房樹さんによると、石原さんは台北市の中山区で喫茶店を経営していたこともあるそうだ。1972年日台断交前の頃で、ちょうど映画館が多く立ち並ぶ西門町で出演の「黒部の太陽」(監督:熊井啓、1968)や「風林火山」(監督:稲垣浩、1969)が公開されてヒットしており、ファンが氏経営の喫茶店を訪れて、石原さんも来台時には気軽に言葉を交わしていたという。

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