日本語籍を取得した日

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李 琴峰 【Profile】

日本語に恋したからうまくなった

なんで日本語を習おうと思ったの?

日本に来てから何度も何度もそう聞かれたが、聞かれるたびに私は首をかしげながら悩む。

就職するためとか、日本のアニメが好きだからとか、そういった分かりやすい動機があればいいのだが、それが私にはなかったのだ。結果的に日本で就職したし、日本のアニメも確かに好きだけど、どれも日本語を習った結果であって、理由やきっかけではない気がする。

結局、きっかけは特にないかな、と答えるしかなさそうだ。ある日、15歳の私に突如降りかかってきた、そうだ、日本語を習ってみよう、というその正体不明な想念がそもそもの始まりだった。もし天啓というものがあれば、まさにそういうことなのかもしれない。

とはいえ、天啓だけでは語学学習が十何年も続くわけがない。始まりは正体不明な想念であっても、いざ学んでみる日本語の美しさに魅了され、続けずにはいられなくなり、気付いたら十何年もたったのである。

日本語の小説を読んで、日本語を勉強していた(筆者提供)
日本語の小説を読んで、日本語を勉強していた(筆者提供)

どこが美しいかって?

まずは表記面。漢字と仮名が混ざり合う字面は、密度がふぞろいなゆえにまだら模様のように美しく感じた。例えるならば平仮名の海に漢字の宝石が鏤(ちりば)められているように、あるいは平仮名の梢(こずえ)に漢字の花びらが点々と飾り付けられているように。月光が降り注ぐと海がきらきらと輝き出し、風が吹き渡ると花びらがゆらゆらと舞い降りた。

そして音韻面。日本語の音節は基本的に「開音節」と言って、「子音+母音」の組み合わせである。例えば「こ」なら「k」+「o」、「と」なら「t」+「o」という具合に。他の言語は必ずしもそうではない。「子音+母音」の組み合わせが続くと、機関銃のようにダダダダダッととてもリズミカルに聞こえて、つい声を出して繰り返したくなるのだ。あ、輝く水面と舞い降りる花びらの後にいきなり機関銃を出してごめんなさい。

そうして私は初級、中級、上級と、日本語の階段を上っていった。いつしか日本語で独り言を言うようになり、夢の登場人物まで日本語を喋り出した。日本に渡り、日本企業で就職した。あろうことか日本語で小説なんて書こうと思い、それが僥倖(ぎょうこう)にも受賞してしまった。今や日本語は私にとって必要不可欠なものになっているのだ。

何のきっかけもなく、それこそ気まぐれで始めた日本語学習が私の人生を大きく変えたのだ。しかし、もし当初は気まぐれではなく明確な目的意識を持って日本語と対峙していたのなら、恐らくここまでは来られなかっただろう。そんな気がしてならない。兎が死ねば犬は煮られ、鳥がなくなれば弓は仕舞われる。目的があれば日本語もただの道具で、目的が達成した瞬間に不要なものになってしまう。私にとって日本語は道具ではなく、目的そのものなのだ。そう、恋みたい。

何故ここまで日本語が上達したのかと聞かれれば、それは、日本語に恋をしたから、と答えるほかなさそうだ。

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李 琴峰LI Kotomi経歴・執筆一覧を見る

日中二言語作家、翻訳家。1989年台湾生まれ。2013年来日。2017年、初めて日本語で書いた小説『独り舞』で群像新人文学賞優秀作を受賞し、作家デビュー。2019年、『五つ数えれば三日月が』で芥川龍之介賞と野間文芸新人賞のダブル候補となる。2021年、『ポラリスが降り注ぐ夜』で芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。『彼岸花が咲く島』が芥川賞を受賞。他の著書に『星月夜(ほしつきよる)』『生を祝う』、訳書『向日性植物』。
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