台湾文学を日本に広げた人物の早すぎる死——翻訳家・天野健太郎氏を悼む

言語 文化 台湾・香港(繁体字専用)

野嶋 剛 【Profile】

台湾人にも天野氏の功績を知ってもらいたい

しのぶ会の開催を決めたのは、天野氏の功績を一度まとまったものとして全体像を世の中に対して提示し、語り合ってみたいと考えたからだ。

亡くなった人物をどう評価し、どう懐かしみ、どう論じていくかは、自由に考えていけばいい。それぞれに付き合いの長さも関係の深さも違っている。ただ、台湾映画に『百日告別』という作品があるが、他者の死を人が受け入れるには時間のプロセスが必要となる。天野氏の死があまりにも突然であったこともあり、天野氏と交わった人には、彼に対する思いを吐き出す場として、しのぶ会を受け止めてもらいたいと願っていた。その目的は、かなりの程度、達成されたのではないかと思う。

しのぶ会の司会を務めた筆者(nippon.com高橋郁文撮影)
しのぶ会の司会を務めた筆者(nippon.com高橋郁文撮影)

私は、天野氏とは友人の一人であったが、その活躍に負けられないと励まされるところも多かった。日本における台湾認識の問題として、政治や歴史にとどまらない多面的な「現在の台湾」をいかに伝えるべきかを考えている同士という意識もあった。それでも、しのぶ会での多くの方の発言を通して、天野氏の活動が想像以上に多面的なもので、彼のことを改めて立体的に理解できる機会になった。

天野氏の実質的な活動期間は7年ほど。その間、病を抱えながら、翻訳のみならず、台湾文化の日本での普及活動も積極的に展開し、これだけの実績を残したことに、私のみならず、多くの関係者が驚きを感じるところだ。天野氏の逝去は早すぎる。そして日本の台湾理解にも、台湾文学界にも、大きな損失である。

日本においては天野氏の活躍はすでに幅広く知られているが、「台湾文学の海外展開への貢献」という意味で台湾に伝わっているとは言い難い。できるならば、台湾文学の関係者や台湾政府の文化部門には、台湾文学が中華圏以外で広く読まれるルートを切り開いた「恩人」の功績を、より注視してもらいたいと思っている。

バナー写真=在りし日の天野健太郎氏と氏が翻訳した作品(nippon.com高橋郁文撮影)

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野嶋 剛NOJIMA Tsuyoshi経歴・執筆一覧を見る

ジャーナリスト。大東文化大学教授。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。92年、朝日新聞社入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長などを歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)、『台湾はなぜ新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)『香港とは何か』(ちくま新書)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(ちくま文庫)『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)など。オフィシャルウェブサイト:野嶋 剛

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