日本生まれのスリランカ人ウィムサクラさん:うつ病の経験生かし看護師の心を守るために起業

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板倉 君枝(ニッポンドットコム) 【Profile】

コロナ禍で医療従事者の奮闘が続いている。中でも患者に寄り添う看護師の精神的負担は大きい。看護師のメンタルサポートに取り組むウィムサクラさんに、起業の経緯と看護師たちが置かれた状況について聞いた。

ウィム サクラ WIM. Sakura

1995年名古屋生まれ。株式会社Plusbase代表。認定心理士。2017年看護専門学校卒業後、急性期病院に勤務。うつ病によりしばらく現場を離れた後、看護師のメンタルサポートの仕組みづくりを目指して起業。

「サクラが笑わなくなった」。看護専門学校を卒業して急性期病棟に勤務してから、まだ1年もたたない頃のことだ。「職場で広がったそんなうわさが、自分の心が病んでいると気付くきっかけでした」とサクラさんは振り返る。

「寝られない、食べられない、朝起きると涙が止まらない。それでも、頑張って今を乗り越えたら何とかなると思っていました」。サクラの様子がおかしいと聞いた精神科の医師が診察してくれて、ようやく自分はうつ病なのだと知った。看護の仕事を通じて人の役に立ちたいとまい進してきたが、初めて挫折感に打ちひしがれた。

命を守る仕事をしたい

スリランカ人の両親のもとに名古屋で生まれ、幼少期をスリランカ、英国で過ごした。小学校以降はずっと日本で暮らしている。

「小学校では、自分がスリランカ人でみんなと少し違うと意識しました。それから、スリランカをはじめ、海外の途上国と自分のつながりに関心を持つようになりました。平和で教育水準の高い日本はすごく恵まれている国だと両親に言われていたので、せっかく恵まれた環境で育っているのだから、日本で学んだことを生かして人の役に立ちたいという気持ちが早くから強かったと思います」

一方で、当時は内向的だったと言う。「“この顔でサクラだなんて…”と自分の名前が嫌でした。日本人らしく振る舞おうと無理もしていました」

進学した中学校は「マンモス校」で、自分のように海外出身の生徒をはじめ、多様な人たちが周囲にいた。心が解放されて、部活や生徒会の活動に打ち込み、活発な学生生活を送った。「サクラという名前も、人がすぐ覚えてくれるので良かったと思えるようになりました」

将来の進路について具体的に考えるようになったのも中学時代だ。「国境なき医師団」に派遣されてアフリカで助産師として働く日本人女性のドキュメンタリーを見て感銘を受けた。自分も助けが必要とされる場で命を守る医療の仕事がしたい。そう思うようになった。小学生の時にスマトラ島沖地震が起き、スリランカは津波で沿岸部が被災して父親の親族が命を失ったことも強く記憶に残っていた。

患者の死で自分を責め続けた

高校卒業後、看護専門学校に進んだ。

「高校受験の頃に東日本大震災、看護師国家試験の際は熊本地震が起きました。ボランティアなど被災者に直接手を差し伸べる活動に参加できなかったこともあり、救命救急の仕事がしたいという思いが強くなりました」

最初に勤務した病院では、希望通りに急性期病棟に配属される。

「急性期病棟は、救急車で搬送され緊急に手術を受ける必要がある患者さんも受け入れます。話もできず、一刻を争う状況です。他の部署なら、新人看護師が失敗しても、先輩にカバーしてもらい、患者の命にかかわることにはならない。でも、ここでは自分の知識不足、スキル不足による失敗が、命の危機につながるという緊張感が続きました」

「勤務して2週間目に、最初の週に担当した患者さんの容体が急変して亡くなりました。スリランカで親族が災害で亡くなってはいましたが、人の死を身近で経験していなかった。看護の現場でリアリティーショックを受け、トラウマになってしまったんです」

それからは、患者の死を目の当たりにするたびに自分を責めた。

「目の前で容体が急変しても何もできない。冷静に考えれば、新人ができることは限られています。それでも、もう少し知識があれば、もう一歩早く動けたのではないかと悩んでしまう。帰宅しても気持ちの切り替えができず、夜も眠れません。常に不安にさいなまれていました」

考え方なら変えられる

自分はなぜ心を病んでしまったのか。うつ病で離職し、しばらく休養している間に、その理由を知りたいと思うようになった。

通信制大学に編入して心理学を学び、「“看護師はこうあるべき”という固定観念が強すぎたのだと気付きました」

「自分が悪いのではなく、考え方が悪い。考え方なら変えられます。小学校でのネガティブシンキングから中学校でポジティブに一変しましたから。認知行動療法などについても学び、考え方の癖を直すことで自分の心を守れると知ってとても生きやすくなりました」。1年で認定心理士の資格を取得した。

スリランカの伝承医療「アーユルヴェーダ」を現地で学ぶ機会もあった。

「アーユルヴェーダは、WHO(世界保健機関)が認める世界3大伝承医療の一つです。インドで発祥し、スリランカで発展しました。自分や家族を大事にして、体の病気だけでなく、心の不調も早いうちから予防しようというアーユルヴェーダの考え方が、もともとスリランカに根付く生活療法と結びつきました。こうした考え方を通じて、まず自分の心を守ることが大事なのだと学びました」

一方、高度の医療技術を誇る日本で、メンタルヘルスに対する意識が低いことに問題を感じた。

看護師の心を守る仕組みを

「心を守る方法が分かっているから大丈夫と現場に復帰しました。でも、勤務した東京の病院で、同僚や上司がうつ病になって辞めていくのを目の当たりにしました。全国に同じ悩みを抱えている看護師がたくさんいるはずだと実感し、何とかしなければと思いました」

「病院は縦割り組織で、先輩たちのやり方に従うことが評価され、新しい意見はなかなか取り入れられません。組織の内側から何かを変えるのは難しい。外側から広い視野で持続可能な仕組みを作っていかなければ、多くの人の心を守れないと思いました。それで、ソーシャルビジネスに関心を持ちました」

看護師の心を守る仕組みづくりに取り組みたいと、経済産業省の起業家育成プログラムに参加した。

「イノベーションを起こすためのマインド、スキルセットを学べる内容です。一挙に同期100人のネットワークができました。さまざまな業種の人たちがいて、ビジョンを持ち、熱量が高い。私が悩んでいると勉強会をやろうなどと提案して、助けてくれる。看護師のメンタルヘルスの課題に共感してくれる人が多く、仲間に背中を押されるように、起業に踏み切りました」

心を「見える化」するウェブサービス開発

2021年2月サクラさんが立ち上げたPlusbaseは、「働く人の心を守る仕組み」をつくり出すことを目的としている。

「特に看護師は患者のケアが中心にあり、自分自身の心の状態を把握することはおろそかになってしまいがちです。心を“見える化”するためのスクリーニングツール、個々の状態に合わせたセルフケアの提案、看護師に最適な事例を用いたeラーニング教材などを、ウェブアプリとして医療機関に提供することが私たちの事業です」

これまでに、90人の現役看護師たちの協力を得て、開発中のツール、教材などの使い勝手や効果を検証した。

「私たちが作ったものが本当に現場の看護師の悩みを解消できるのか、実際に使ってもらいながら改良を重ねていきたい。今春には医療機関への導入に向けた実証実験を開始します」

ウェブサービス開発、医療機関・研究機関との実証実験のためにベンチャーキャピタルやエンジェル投資家から資金を調達した。また、パブリックリソース財団「女性リーダー支援基金」(審査委員長・上野千鶴子東京大学名誉教授)の支援対象者の一人にも選ばれた。

サクラさんを中心に、スタッフはオンラインコミュニティーの運営者、編集者、ウェブマーケターなど、さまざまな仕事をする同世代の仲間たちだ。サクラさん自身も、週何回か、都内の心療内科で看護師として働いている。

「みんながそれぞれ得意な仕事を続けることで、広い視点が持てます。肩書ではなくスキル、自分の特性を生かすことが重視される時代に即した働き方だと思っています」

チームプレーを大事に

サクラさんのように、命を守りたい、人の役に立ちたいと意欲に燃えて看護師になる人は多い。だが、どんなに献身的に仕事をしても、その働きが評価されにくく、「燃え尽き症候群」で離職する人も目立つ。

「看護師は、医師の指示で点滴、投薬などいろいろな医療行為をしますが、名前を付けられない仕事もたくさんあります。例えば『そこのあれを取って』『腰をさすって』『眠れない』など、患者さんのいろいろな要望に対応し、不安な気持ちに寄り添います。でも、こうした日常の細かい仕事を評価するのは難しい。一方で、“命の現場” ゆえにミスに対してどうしても過敏になる職場なので、失敗だけが大きく取り上げられ注目されがちです」

「現場ではチームワークが大事です。どんなに忙しくても、良いチームならがんばれるという声もあります。誰かが失敗したら、同じ失敗をしないようにポジティブなフィードバックをしながら、お互いの良いところを褒め合う文化をつくっていきたい」

「どんなに患者に寄り添っていても、評価されにくいし、お給料にも反映されない。だからこそ、お互いが支え合うことが必要です。一方で自分自身が疲れて心が病んでいたら、仲間とのコミュニケーションも難しい。結果として、自分を大切にすることがチームのためになり、患者のためになる。看護師一人ひとりが自分のことを大切にできるように、私がいまできることをしたいと思っています」

バナー:ウィムサクラさん(撮影=ニッポンドットコム編集部)

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    出版社、新聞社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。

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