USスチール買収劇の教訓
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日本製鉄によるUSスチール買収計画の行方は、未だはっきりとはしていないが、バイデン前大統領もトランプ新大統領も、買収に待ったをかける意見を公にしてきたことは、いくつかの教訓を与えるものである。
第一に、緊密な同盟国の会社である日本製鉄の投資を、安全保障上問題があるとして、USスチールを、いかなる意味でも「米国」自身の会社として残すという考えであれば、同じことは、鉄鋼のみならず自動車から電気製品にも及びかねず、これでは、外国から見ると、安定的な対米投資はできないことになりかねない。
また、日本にとって一層問題なのは、米国の鉄鋼会杜の幹部の中には、安値輸出をする中国も悪いが、その中国の鉄鋼メーカーを育てた日本も悪いと公に主張するものがいることだ。こうした意見には人種偏見、あるいはアジア人をひとからげにする偏見の匂いがし、日米友好などという言葉は偽善に近いものに聞こえかねない。
さらに、米国の安全保障上、重要な物資は米国自身の会社で生産させるという意見は、このケースの場合、同盟国であっても日本は信頼できないといっているに等しい。元来、信頼関係なるものは、お互いを信じ合うことが基本であるから、一方が不信感を持つなら、そのこと事態、信頼関係の破壊につながる。相互の信頼が要の同盟関係に水をかけるものにほかならない。
しかし、より本質的問題は、米国自身の会社なら信頼できるという前提である。そもそも、多国籍企業ともいわれる大企業は、どこの国の企業でも国境を越えて仕事をし、世界的視野で戦略を練る。したがって、国家という枠にとらわれずに行動する。時には、国家利益に反する恐れがあっても、企業の戦略上有利ならば自由に行動しようとする。かつて、日本の政財界を揺るがしたロッキード社の収賄事件も、その発端は米国の大企業に対する政治的不信感にあった。米国の大企業は、企業の論理で動き、時として米国の国家利益と相反する行動をとりかねないという懸念が原点にあり、それが、多国籍企業たるロッキード社の財務調査に至ったのだった。
今回の買収劇が、仮に、米国企業によるUSスチールの立て直しという結末となった場合、はたして、その新会社が、米国政府の言うことに柔順に従うという保証はどこにあるのであろうか。
昨今、しきりにアメリカ第一主義という人が増えているが、このグローバル化した世界で、米国第一とばかり言っていても、はたして、世界的戦略を練る「賢明な」米国の大企業は、本当に米国第一主義に追随するのであろうか。その場合、そうした米国企業は、真に国際競争に勝てるのであろうか。
今回の買収劇で試されているのは、日米関係もさることながら、実は、企業を含めたアメリカ全体が、どこまで、どのように、自分自身への信頼と自信を確立できるのか、そのための最善の方法は何か、ということなのではあるまいか。
バナー写真:日本製鉄の買収案を支持する立場で、USスチール本社前をデモ行進する同社の労働者ら=2024年9月4日、米ピッツバーグ(AFP=時事)