コラム:私の視点

「もののあわれ」という感覚

文化 社会

言葉はすべて、時とともに変化する。例外もあろうが、言葉が変わっても、その言語の持つ「感覚」はなかなか変わらない。言葉の変化と感覚の変化は質の違うものであるけれど、その変化の速度は人間の一生と比べると、遅々としたものである。

もちろん、これは人間にとってありがたい話だ。そうでなければ、 つまり、もし言葉やその感覚の変化が往々にしてスピーディーに起きるとしたら、私たちは、自分たちの母語を数年ごとに習得し直さなければならなくなるからだ。

日本人の変わらぬ感覚として、まず思い浮かぶのが平安時代だ。この時代は日本人の感覚を考える上で重要な節目であり、今日まで続く変わらぬ日本人の代表的な感覚が生まれた時代とも言える。平安期には、「源氏物語」や「枕草子」など女性たちの文化が大きく開花した。社会的には圧倒的に男性優位の時代であったが、文化的な面では、宮廷内外の女性たちが男性をしのいでいた。

もちろん、当時の男性たちも、女性の生み出す魅力的な世界に気づいていたはずだ。もっと言えば、当時、「紫式部日記」や「蜻蛉(かげろう)日記」「和泉式部日記」などのすばらしい日記で、女性が編み出したカナ文字によって綴られた作品には、男性が漢字で表現している世界にはないものがあるとわかっていた。ただし、後にそれが、日本人の美意識や感覚を形成していくための大きな力を秘めていたとは誰も予想していなかった。

平安時代の女性たちの書く日記や和歌には、常にある共通した感覚が表れていた。それは、言葉にして表現するのが難しい感覚ではあるが、後にそれが「もののあはれ」と呼ばれるようになったのである。しかし、一般的に日本人でさえも「もののあはれ」とは何かと聞かれても、なかなか上手く説明できないだろう。

そもそも、 「もののあはれ」の表現する世界観を説明するのが難しいと思うこと自体が、日本人の感覚の見えない部分を物語っているだろう。当然、外国人にとってその感覚をつかむのは至難の技となる。 「儚(はかな)いもの」または「しみじみとした味わい」や「小さいもの」を愛しむような感覚である。

「あはれ」という言葉は、古くは古事記や日本書紀、万葉集の時代に見つけることができるが、その感覚を集大成したのが、源氏物語である。つまり、「あはれ」の伝統は、古代日本から現在に至るまで続いている。言い方を変えれば、当時も今も日本人の生活意識上の規範の一つとも言える。

当時の人たちは、現代の日本人以上に普段見聞きしている周りの「見えるもの」と「見えないもの」、雲や風、花や水の流れなど様々なものが移ろっていく様子を心の揺れと重ねながら捉えていた。当時の物語の中に出てくる登場人物の恋や人の死などのように、人が生きる事の儚さやその無常観などを「もののあはれ」と感じていたようである。

バナー写真:源氏物語の「若紫」と確認された写本。校訂した藤原定家が書き加えたとみられる箇所がある=2019年10月7日、京都市上京区(時事)

源氏物語 平安時代 紫式部