『ミシュランガイド』掲載3店、手掛ける店すべてに行列ができる異端の職人のラーメン哲学
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8つのブランドが次々と人気店に
全国有数のラーメン激戦区・東京で、繁盛店を作ることは決して容易なことではない。しかし水原裕満が手掛けた店はいつも行列が絶えない。上北沢『らぁめん小池』に始まり、本郷三丁目『中華蕎麦にし乃』、王子『キング製麺』、小川町『つけめん金龍』、巣鴨『こいけのいえけい』、御徒町『あいだや』、本郷三丁目『本郷苑』、新宿『伊之瀬』と、10年あまりで8つのブランドを手掛けてきた。
一般的な繁盛店の多くは有名店で修行した弟子が独立した店や大企業の資本が入った店であるなか、水原はラーメン作りの知識もろくにない状態で、2013年に後の『らぁめん小池』の前身となる『つけめん小池』をオープンした。ゼロからのスタートで苦戦する日々だったと水原は振り返る。
「元々、バンドマンや靴職人を目指していたんですが、どれもうまくいかなかった。その後、居酒屋で働いて、28歳のときにラーメン店で独立したものの、オープンから3カ月たっても客足は伸びませんでした」
水原が最初に手掛けたのは、当時の流行に乗っただけの魚介豚骨系のつけ麺だった。そこにこだわりはなく、客足が少ないのも当然だった。このままだと店はつぶれる……。崖っぷちに立たされた水原は、恥を忍んで東京有数の行列店に頭を下げて回った。店主たちからカエシ(たれ)のレシピやスープの作り方をイチから教えてもらい、これまで全て独学でやってきたラーメン作りを見直した。
改良を重ねること半年、少しずつ店の前に行列ができ始めた。しかし、お客が増えたことで新たな問題も生まれる。
「つけ麺はラーメンに比べると麺をゆでるのに時間がかかるため、オペレーションが追いつかないんです。それで悩んだ末に、つけ麺からラーメンにシフトすることを決意しました」
オープンから9カ月、屋号を『らぁめん小池』に改め、煮干し系のラーメンで新たに勝負をかける。それをきっかけにさらに売り上げを伸ばし、元々の常連客にもさらに来店してもらえるようになった。
水原に転機が訪れたのは15年。『らぁめん小池』が『ミシュランガイド』のビブグルマンに掲載されたのだ。続いて18年にオープンした本郷三丁目の2号店『中華蕎麦にし乃』、20年には王子の3号店『キング製麺』が掲載されるなど、手掛ける店を次々とミシュラン店にしてきた。
実は料理は苦手
水原の手がけるラーメンは店ごとにコンセプトが異なる。例えば『中華蕎麦にし乃』なら清涼感あふれる日本山椒(さんしょう)を用いた「山椒そば」、『つけめん金龍』なら冷やした昆布だしに自家製麺を漬け込んだ「鰹昆布水つけめん」など、それぞれに個性が光る。創業店が当たれば、コンセプトを変えずに同じメニューで2号店を出すのが一般的だが、水原は店を出すたび、まったく違うコンセプトをゼロから作り上げる。そしてその掛け合わせが次なる味わいを生み出すのだ。
「やりたいこと、試してみたいことがたくさんあるんです。いろいろなラーメンを作っているので料理が得意だって思われますが、実は全然できないんですよ」
水原はそう言って笑う。
「ラーメンって、料理とは違って『自分でも作れる』という感覚なんです。一つのものを作り続けるのが、得意なのかもしれません。限定メニューが得意な人って飽きっぽい性分もあってか、みんな『同じものをずっと作れない』って言うんです。私は逆に同じものをいかにノーミスで作るかっていうところに楽しさを見い出せるタイプです。同じものを作ると言っても、状況は常に変わります。同じ食材でも日によって違いがあったり、チャーシューも大きさが変われば脂の入り具合が違ったりする。お客さんだって毎回違う。ラーメンを作る上で同じ状況はないと実感しています」
手がけるブランドを次々と『ミシュランガイド』掲載店としてきた水原だが、意外にもミシュランを意識したことはないという。
「ミシュランが好む基準に合わせにいくことはできません。いわゆるラーメン専門誌とは性質が違うんです。意識して寄せているわけではなく、作ったものがたまたま相性が良かっただけです」
外国語のメニューを置かない理由
だが、そのミシュランの掲載をきっかけにインバウンド(外国人観光客)の来店が増えたという。なにか特別な策があるのかと聞くと、「インバウンドはあえて意識しないようにしている」という答えが返ってきた。
「自分が海外に行った時は、できれば観光客向けの店には行きたくない。それって逆もあると思っていて、日本人が熱狂しない店にはインバウンドも行かないと思います。まずは日本の人に来てもらうのが大前提。その上で、インバウンドが喜んでくれそうな仕掛けを散りばめています」
どの店にも外国語のメニューは存在しない。そこには水原なりの考えがある。
「海外の店で店員が日本語を話せて、メニューも日本語だと、ちょっとテンション下がりますよね。せっかくなら現地に根付いたおいしいお店に行きたい。だから私は、いわゆる観光客向けの店作りを避けています」
外国人に対しては不親切かもしれない。けれど、日本人が熱狂する店を作る。それが水原のモットー。だから日本人はもちろんのこと、外国人にも選ばれるのだ。
もうひとつ、水原が店作りで気をつけているのが、女性が利用しにくいと感じるストレスを排除することだという。つまりは清潔感だ。
「『あいだや』は女性が一人で来ても恥ずかしくない店を目指しました。 ラーメンの写真をインスタグラムに上げても『この人こんな店に行ってるのか』と思われない商品にする。すると女性も自然とラーメンを投稿してくれると思います。テーブルの素材、器のデザイン、商品の盛り付けがよければ、女性もラーメンに対して抵抗がなくなるはずです」
話を聞いた日は、開店前にもかかわらず、実際に多くの若い女性が列を作っていた。女性が訪れたくなる店を目指すことは、結果的に男性にも好感を与える。そして誰もがおいしくラーメンを食べられる環境を作り出しているのだ。
異端児が後悔していること
ラーメン店の多くの店主は自ら厨房(ちゅうぼう)に立って一つの味を極める、いわゆる職人気質なタイプが多い。一方で水原は店を信頼できる人間に任せ、自身は新たな店のラーメン開発に時間を費やす。最近はアジアをはじめとした海外のイベントに出店する機会も多いという。順風満帆に見える水原だが、ラーメン作りにおいては後悔もあるという。
「『この人じゃないと作れない味』『この味といえば誰々だよね』と言われるのには憧れます。正直、私には、『とみ田』(千葉県松戸市)さんや『飯田商店』(神奈川県湯河原町)さんみたいな絶対的な味は作れません。それに対して葛藤した時期もありました。下積みがもっとあれば、ラーメン作りで苦労しなかっただろうと思います。その反面、柔軟性は持ち得なかったかもしれない。後悔してる部分もあるけど、これでよかったかなと。スタッフには『自分の型をちゃんと身につけてから独立しなよ』と伝えています」
『らぁめん小池』のオープンから10年を迎え、飛ぶ鳥を落とす勢いの水原に次なる目標を聞いてみた。
「チャンスがあればさらに出店したいです。業界的にはすでに面白いことができていると思っていますが、さらなる独自路線を追求したいです。私は居酒屋出身ということもあり、ラーメンが好きというより飲食業が好き。重心がみんなと少し違うところにあるから柔軟に見えるだけなんです。ラーメンにプライドはあんまりなくて、飲食業としてお客さまが楽しんでくれればそれでいいんです」
バナー写真:水原が手掛けた店の中でも一番新しい、御徒町『あいだや』の店頭にて(山川大介撮影)