行き過ぎた排除が生んだ “行き場のないヤクザ” と “ルールなき半グレ” という負の遺産 : 元ヤクザ法律家対談 司法書士・甲村柳市×弁護士・諸橋仁智(後編)
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独居房で民法暗記「それしかなかった」
―前編ではお二人のヤクザ時代などの過去についてうかがいましたが、そこから資格の勉強を始めたきっかけは?
諸橋 僕は2005年に覚醒剤中毒のせいで組を破門になりました。精神科病院に入院させられ、その後、逮捕もされたのですが、勾留中に母に差し入れしてもらったのが大平光代弁護士の著書『だから、あなたも生きぬいて』でした。大平弁護士はヤクザの組長の妻だった過去を持ちながら司法試験に合格して弁護士になった。自分も大平弁護士のようになりたい、と思いました。当時、宅建(宅地建物取引主任者)の合格を目指して勉強を始めていましたが、はるかに難しい司法試験に合格するという目標を定めたことで、勉強にも力が入るようになりました。
甲村 私は、38歳のときに近所のスナックで警察官とトラブルになって、公務執行妨害の罪で懲役となり広島刑務所に入りました。もともと40歳が人生の節目だと思っていたんですが、今までやってきたことで何も芽が出なかったから、ちょっと早いけど生き方を考え直そうと。刑務所の中で何ができるか考えたら、勉強くらいしかなかった。最初は司法試験を目指そうとしたんです。でも、禁固以上の刑を受けたことがあると「欠格事由」に引っかかって弁護士にはなれない。だから司法書士を目指すことにしました。
─甲村さんはぎゅうぎゅう詰めの雑居房では勉強できないから、あえて看守に反抗的な態度をとって「懲罰」で独居房送りになって、自作の暗記ペーパーを米粒を使って看守から見えない小窓の下に貼り付けて、民法の条文を丸暗記しました。ものすごい執念ですね。
甲村 自分にはもう、それしかなかった。そうしないと刑務所の中で何もできず、無駄に時間を過ごすだけになりますからね。
諸橋 甲村さんは長期的な戦略を持って行動してきているところがすごいと思います。たいていのヤクザは、「損得を考えるな」と教えられますから。
甲村 損得はものすごく考えていました。もともと法律とかは好きだったんでしょうね。20代の頃からいろいろ調べて人に内容証明を送ったり、差し押さえの手続きをしたりとか、全部自分でやっていましたから。刑務所に入るときも、六法全書と刑事収容施設法の本を持ち込んでいました。
自分が落ちて喜ぶ人たちの顔を思い浮かべ奮起
─それでも、甲村さんは合格まで8年、諸橋さんも7年かかっています。周囲からは否定的な反応も多かったそうですが、諦めたくなったことはないんですか。
甲村 まあ、根拠のない自信があったんです。私は中学しか出ていませんが、高校、大学でいくら良い成績だった人も、その時から法律の勉強をしていたわけではない。同じ人間がやることなんだから、やればできるだろうと。
周囲は「難しいし絶対やめといたほうがいいですよ」って遠慮がちに言ってきましたけど、内心は「こいつ何言ってるんだ、バカか」と思われていたに違いない。でもそれで実際に諦めてしまったら、「ほら、言うたやろ」ってなる。それが嫌で、あえてみんなに勉強していることを公言していました。「何が無理やねん。泡吹かしたろう」って。結局は、自分のプライドなんですよ。
諸橋 僕も似たような気持ちがありました。自分が落ちて喜ぶような人たちの顔を思い浮かべて奮起した。そこはヤクザだったかどうかは関係なく闘争心というか。
―資格をとって、人生は変わりましたか。
甲村 消費者金融からの過払金の返還訴訟とか、過去には「闇」でやっていたことが堂々と出来るようになったのはやはり大きい。それに、この仕事を生涯の仕事に選んだんだから、もう寄り道することもないし、ストイックにやっていけるという気持ちはあります。定年とかもないですから、あとは体力との勝負。
諸橋 周りを見ていても、ヤクザや不良をやめても完全に犯罪と手を切るのはなかなか難しい。過去の経歴が邪魔をして収入が良い仕事に就くのが難しいので、犯罪との境目がグレーな領域に手を出してしまいがちになるんです。その点、資格があることはとても強い武器。僕の場合、弁護士登録をする過程でいろいろな人が手助けしてくれたことも大きくて、その人たちを裏切らないためにも、もう絶対に覚醒剤に手を出して資格を失ってはいけないという抑えになっています。
映画のヤクザはファンタジー? 現実は「高齢化と貧困」
―過去の経歴が邪魔をする、という話でいうと、元ヤクザという経歴がハンデになることはありますか。
甲村 あまりないですけど、去年、都内の輸入車ディーラーを通して車を買おうとして、見積もりなども済んでいたのに、車の確認のために店に行ったらいきなり「残念ですが、お客様にはお売りできなくなりました」と告げられました。私の過去の経歴をインターネットで調べたようです。ヤクザは15年以上も前にやめているのに、いまだにこういう目に遭う。
多くの自治体などが定める暴排条例(暴力団排除条例)では、「反社の5年ルール」というのがあって、暴力団員でなくなってから5年を経過しない者が対象となるのですが、実際には5年を過ぎても銀行口座を開設できなかったり、車を買えなかったりする。
諸橋 20年ほど前から暴排条例が定められるようになって、社会からヤクザを徹底的に排除する流れが急速に進みました。それまでの暴対法(暴力団対策法)はヤクザそのものを取り締まったけれど、暴排条例はヤクザと付き合った人を取り締まるようにした。これは、あまりにも強力でした。
甲村 社長がヤクザと食事をしていたことが「密接交際」だとされて銀行に口座を凍結され、会社がつぶれて数十人いた社員や家族が露頭に迷うことになった、というような事例もありますからね。
諸橋 親がヤクザだったために家族までもが差別されることも今後、起きていくと思います。「親がヤクザだったら結婚するな」とか。ヤクザをやめた元ヤクザであってもその子どもが「元ヤクザの子ども」とレッテル貼りをされかねない。
甲村 過剰な暴力団排除は誰も幸せにしない。みんなヤクザを排除するのにやっきになっているけれど、排除した後の受け皿をまったく考えていない。ヤクザが生きにくい時代になって、やめる人間も増えてきていますが、やめても行くところも帰る場所もどこにもない。5年経っても10年経っても銀行口座もつくれないのでは、生きていくすべがない。そんな状況でメシ食おうと思ったら、悪さをしないとしょうがないでしょう。
その結果、半グレのような、ヤクザよりもっと悪い集団が出来てくる。彼らには、組織のルールも美学も何もない。ネットで集めたその場限りのグループで、強盗に入って人を殺したりしてしまう。素人が集団になると怖いですよ。
諸橋 ヤクザは曲がりなりにも公然と事務所を構え、看板を掲げていましたが、半グレは地下に潜伏した犯罪チームみたいになっていて、海外のマフィアと何も変わらない。
ただ、私は暴力団離脱支援の活動をしているのですが、ヤクザと半グレどっちがいいかと聞かれたら、半グレでもいいからとにかくヤクザを離脱しなよ、と言っています。社会にとっては、ヤクザより半グレのほうがタチが悪いですが、その当事者の人生を考えると、ヤクザでいることの不利益が大きすぎる。
暴力団の排除という目的は、すでに達成されていると思います。今の暴力団は、特に大都市では若手が入ってこなくなっていて、50代以上がほとんど。今後はさらに高齢化して、貧困に陥る人たちも続出するでしょう。外国の映画に出てくるような格好良いヤクザなんて、もはやただのファンタジーです。
これからは次のステップに進んで、ヤクザをやめた人やその家族のための受け皿をつくって、救済していく段階に入っていくべきです。政治もメディアも、そうした少数者の権利にはなかなか関心を向けてくれません。やはり、司法の役割が大きいと思っています。
バナー写真 : 弁護士・諸橋仁智さん(左)と司法書士・甲村柳市さん
取材・文:森一雄、小泉耕平、POWER NEWS編集部
写真:伊ケ崎忍